国内紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:57 UTC 版)
経済低迷の一因としては、沿ドニエストルにおける紛争が挙げられる。 1990年、ドニエストル川東岸においてスラブ系住民を中心とした勢力が、モルドバ政府の民族主義的政策に反対し「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国(現在の沿ドニエストル共和国)」として独立を宣言。その後1992年にはモルドバ政府が沿ドニエストル地方を武力攻撃して、約1500人の死者を出す内戦(トランスニストリア戦争)に発展。それに対抗してロシアが沿ドニエストルに味方して軍事介入した結果ようやく停戦したが、当時から今に至るまで紛争終結の目処は立っていない。 モルドバ政府は沿ドニエストルの武装解除や警察権の剥奪、モルドバの法制度への完全な従属などを主張しているが、沿ドニエストル共和国はモルドバと対等な形での国家連合か連邦制、モルドバ共和国からの離脱権の保持などを主張して譲らないままである。沿ドニエストル側のこの地域はモルドバ工業生産の3分の1を占めていたので、モルドバ側としては主要な工業地域を奪われた形になった(※モルドバ政府の政策は工業化ではなく、農業推進型)。 また同時期に、モルドバ南西部に住むガガウズ人の独立運動も発生したが、こちらはガガウズ側の譲歩でガガウズ自治区という独自の自治権を持つことで独立を撤回。ガガウズ人は歴史的にトルコとの付き合いが強く、現在ガガウズ自治区に対して、トルコより経済援助が行われている。
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