織田秀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/24 14:36 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動織田 秀行(おだ ひでゆき、元禄10年7月7日(1697年8月23日) - 享保11年6月18日(1726年7月17日))は、大和柳本藩の第6代藩主。
第4代藩主・織田秀親の四男。生母は寺井氏(清蓮尼)。正室は山口弘豊の娘(のち離婚)。子はなし。通称は虎丸、求馬。官位は従五位下伊予守。
生涯
享保4年(1719年)2月12日、叔父で第5代藩主の成純の養嗣子となる。同年2月28日、将軍徳川吉宗に御目見する。享保9年(1724年)12月3日、養父成純の隠居により、家督を相続した。同年12月18日、従五位下伊予守に叙任する。享保11年(1726年)6月18日、30歳で死去した。末期養子として信方(旗本織田信清の三男)を迎えた。
墓所は祥雲寺。法号は巌光院殿本照宗能大居士。
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