織田長恒
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元文4年(1739年) |
死没 | 明和3年8月20日(1766年9月23日) |
別名 | 通称:亀次郎、左京 |
戒名 | 享徳院殿謙光宗流大居士 |
墓所 | 東京都渋谷区祥雲寺 |
官位 | 従五位下・筑前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治 |
藩 | 大和柳本藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系尚長流) |
父母 |
父:織田信方、母:土方豊義娘・春光院 養父:織田秀賢 |
兄弟 | 秀賢、長賢、長恒、旭仙院ら7男4女 |
妻 | 正室:なし |
子 |
女子 継承者:秀綿 |
織田 長恒(おだ ながつね)は、江戸時代中期の大名。大和国柳本藩9代藩主。通称は亀次郎、左京。官位は従五位下・筑前守。
生涯
7代藩主・織田信方の五男として誕生。
宝暦11年(1761年)11月29日、8代藩主で兄・秀賢の養嗣子となる。宝暦12年(1762年)1月28日、10代将軍・徳川家治に御目見する。宝暦13年(1763年)8月26日、秀賢の隠居により、家督を相続した。同年12月9日、従五位下筑前守に叙任する。
明和3年(1766年)8月20日、または8月22日江戸で死去、享年27。墓所は祥雲寺。法号は享徳院殿謙光宗流大居士。
系譜
正室はなし。子女は1女。
なお、『寛政重修諸家譜』では長男秀綿(長恒を継ぐ、実際は秀賢の三男)、次男秀寧の子女を掲載している。
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