織田信衡とは? わかりやすく解説

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織田信衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/20 16:00 UTC 版)

 
織田 信衡
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 天正2年5月7日1574年6月6日
死没 寛文3年7月23日1663年8月25日
改名 勝若丸(幼名
別名 三郎四郎、帯刀大夫
氏族 織田氏
父母 父:織田信正、母:恭姫(織田信広の娘)
兄弟 信衡、的寿
織田信孝の娘・賢子
信直
特記
事項
系図纂要』による。織田信長の孫?
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織田 信衡(おだ のぶひら)は、安土桃山時代から江戸時代武士

系図纂要』によると、織田信長庶長子である織田信正の息子とされている[1]。別名は信平。妻は叔父の織田(神戸)信孝の娘・賢子とされる。

異母弟に的寿(見性寺2世、)がいる[1]。子に信直[1]

来歴

織田信正の子として誕生。豊臣秀次に仕えた後、文禄4年(1595年)に出家して松雲軒と号したとされる[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d 『系図纂要』画像表示 - SHIPS Image Viewer”. clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp. 2021年1月30日閲覧。

参考文献




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