品井沼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 09:43 UTC 版)
品井沼(しないぬま)は、宮城県中部に存在した湖沼である。東西6.5km、南北3km、総面積2500haの巨大な遊水池であったが、江戸時代からの干拓事業により水田化し昭和30年代に完全に消滅した。
注釈
- ^ 1698年(元禄11年)竣工。
- ^ 文化年代の改修工事の際に絵図師請払人の太右衛門が残した「半切帖」の絵図と説明書きには1条か2条かの区別は無く、当初の姿は詳らかではない(『宮城県史 8 土木』 p.141)。
- ^ 1731年(享保16年)、1743年(寛保3年)、1745年(延享2年)、1807年(文化4年)、1841年(天保12年)、1861年(文久元年)の6回。
- ^ 志田郡鹿島台村(現・大崎市鹿島台)・黒川郡大松沢村(現・大郷町)・大谷村(現・大郷町)・粕川村(現・大郷町)・宮城郡松島村(現・松島町)の五か村。
- ^ 鎌田三之助展示室所蔵の「大正八年度 品井沼開墾作付一覧図」には水門の表記が見られ、この頃にはまだ小川閘門の遺構が残っていたとする説もある。
- ^ 吉田川サイフォン竣工後、1947年(昭和22年)のカスリーン台風と1948年(昭和23年)のアイオン台風の復旧工事で吉田川が拡幅され、それに伴いサイフォンの管も 150.8 m に増築された。その後さらに増築され、2011年現在の全延長は200メートルである。
出典
- ^ 『鹿島台町史』 pp.771-772
- ^ 『鹿島台町史』 pp.775-776
- ^ a b 『宮城県史 8 土木』 pp.135-138
- ^ a b c d 『人づくり風土記 4-ふるさとの人と知恵 宮城』 pp.43-46
- ^ a b c 『鹿島台町史』 pp.776-780
- ^ a b “土木学会選奨土木遺産 東北 - 品井沼干拓関連施設”. 土木学会選奨土木遺産. 公益社団法人土木学会. 2012年1月3日閲覧。
- ^ 『鹿島台町史』 p.780
- ^ 『宮城県史 8 土木』 p.140
- ^ 『松島町史 通史編 1』 pp.282-283
- ^ 『品井沼干拓抄誌 品井沼を拓いた人々の苦難の歴史』 p.44
- ^ a b c 『鹿島台町史』 pp.782-786
- ^ 『鹿島台町史』 pp.790-791
- ^ 『品井沼干拓抄誌 品井沼を拓いた人々の苦難の歴史』 pp.50-52
- ^ 『鹿島台町史』 pp.792-793
- ^ 『宮城県史 8 土木』 p.169
- ^ 『松島町史 通史編 1』 p.705
- ^ “追補1 元禄時代における品井沼干拓への取組” (PDF). 貞山運河事典編集委員会(みちのくルネッサンス・フォーラム). 2012年2月15日閲覧。
- ^ “No91 旧品井沼周辺ため池群”. インターネット自然研究所. 環境省. 2012年1月3日閲覧。
- ^ a b 『鹿島台町史』 pp.900-901
- ^ “品井沼干拓資料館完成式典”. 宮城県. 2011年12月25日閲覧。
- ^ “品井沼干拓資料館 - 宮城県松島町”. 松島町. 2011年12月25日閲覧。
- ^ 『品井沼干拓抄誌 品井沼を拓いた人々の苦難の歴史』 pp.46-47
- ^ 『品井沼干拓抄誌 品井沼を拓いた人々の苦難の歴史』 pp.52-53
- ^ 明治潜穴公園|観る・遊ぶ|日本三景松島 松島観光協会
- 1 品井沼とは
- 2 品井沼の概要
- 3 元禄潜穴の工事にまつわる伝承
- 4 脚注
- 品井沼のページへのリンク