宮城県知事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 08:41 UTC 版)
2期目と3期目の知事選では、“脱政党”とはしていたものの、実際には「勝手連」と称した民主党と社民党による支援を受けていた。また、自民党も県議会ではもっぱら浅野に協調し、共産党のみがオール与党批判をすることとなっていた。県知事就任後、専門分野の福祉政策の振興で宮城県の構造改革を目指したが理想論が先行、目だった効果は上げられなかった。 自身がマスコミ等の面前で積極的に活動し、同県を宣伝。同県産のコメをPRするテレビCMでは菅原文太と共演し、話題になった。 また、自らが好んで使用する言葉であった「夢」を、県の政策・施設・イベントなどにも多用し、博覧会には「国際ゆめ交流博覧会」(1997年)、開発地には「みなと仙台ゆめタウン」、コンベンションセンターには「夢メッセみやぎ」、親善大使には「みやぎ夢大使」などいう命名がなされた。
※この「宮城県知事」の解説は、「浅野史郎」の解説の一部です。
「宮城県知事」を含む「浅野史郎」の記事については、「浅野史郎」の概要を参照ください。
- 宮城県知事のページへのリンク