小田俊与とは? わかりやすく解説

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小田俊与

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/29 16:45 UTC 版)

小田 俊与(小田 俊與、おだ としよ、1907年〈明治40年〉1月20日 - 不詳)は、沖縄県(自称は広島県)出身の洋画家彫刻家作詞家政治ゴロ反核運動家特殊株主。『世界タイムス』『全東京新聞』[注 1]発行人、『政治大学校』参与、『東北・北海道開発期成会』会長。日本選挙史上最多の立候補歴を誇る。「選挙魔」[1]の異名があった。


注釈

  1. ^ 全東京新聞』、新宿区ローカル紙として現存。『世界日報』『東京新聞』とは無関係
  2. ^ 立候補活動が静岡県に偏在していたのも、特徴の1つとして挙げられる。
  3. ^ 北海道秩父別町長選挙では1票
  4. ^ 選挙公報の原稿は印刷物の使い回しで、当該自治体名の部分のみ手書き
  5. ^ 1959年の第5回参議院議員通常選挙の選挙公報には「五〇五回目立候補」の文言が見られた[5][6][7][8]
  6. ^ a b ( )内は得票率
  7. ^ a b c d 1950年代に存在した同名の党や平成期のそれとは無関係の政治団体名。
  8. ^ 肥後亨及び川島正次郎の項参照
  9. ^ 『自由民主農民党』とする資料もあり

出典

  1. ^ 鈴木英一『戦後道政史 歴代長官物語』北海タイムス社、1977年、141頁。NDLJP:9773118/73
  2. ^ 総理庁官房監査課(編)『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、昭和24年(1949年)、457頁。NDLJP:1276156/549 - 同頁4段目第1番目に 「小田 榮  皇国日本運動主幹者」とある。
  3. ^ 末松満「選挙と赤い海、ベルリン」『刑政』1959年2月号、矯正協会、44-45頁。NDLJP:2671455/24
  4. ^ 衆議院 第30回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会公聴会 第1号(昭和33年10月30日) - 2024年6月30日閲覧。
  5. ^ 『昭和34年6月2日執行 参議院議員通常選挙 選挙の記録』栃木県選挙管理委員会、1959年。NDLJP:3006971/138
  6. ^ 『選挙の記録 昭和34年』鳥取県選挙管理委員会、1959年、274頁。NDLJP:12247286/166
  7. ^ 「参議院議員通常選挙結果調」『選挙の記録 第11集(昭和34年)』石川県選挙管理委員会、1959年。NDLJP:12247336/138
  8. ^ 『選挙の記録 昭和34年』香川県選挙管理委員会、1959年、123頁。NDLJP:12247290/67
  9. ^ 衆議院 第31回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第6号(昭和34年3月12日) - 2024年6月30日閲覧。
  10. ^ 読売新聞1987年5月25日朝刊14版23面
  11. ^ 後藤新弥の「スポーツ&アドベンチャー」 おやじ、ついに、サーファー!!乗ったぜ 初取材から35年、講義と陸トレ3時間、海に入って15分2007年2月13日 日刊スポーツ






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