東京都第1区_(中選挙区)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 東京都第1区_(中選挙区)の意味・解説 

東京都第1区 (中選挙区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 01:04 UTC 版)

東京都第1区(とうきょうとだい1く)は、かつて存在した衆議院の選挙区。1947年第23回衆議院議員総選挙から設置された。廃止時の定数は3。1964年の公職選挙法改正により、同区の一部は新設された東京都第8区として分区され、その際に定数は4から3へと変更された[1]1994年の公職選挙法改正によって廃止され、旧東京1区地域は現在の衆議院小選挙区で東京都第1区にそのまま移行された。

概要

地勢

東京都東部、東京特別区(23区)の中心地域の選挙区である。千代田・港・中央の都心3区の他、副都心として発展した新宿区、文教施設の多い文京・台東両区などを含み、都市型選挙区の性格を持つ。また、国会議事堂をはじめ、皇居最高裁判所・東京都庁舎・各政党本部・官庁街などが立地する、日本政治の中心地域の選挙区でもある。

選挙区設定後、第二次世界大戦に伴う東京からの疎開住民の帰還や日本の高度経済成長による移住者の増加によって選挙区内の人口が急増し、1964年には定数増に伴う分区が行われた。しかし、1970年代以降は地価の急騰などにより、就業する昼間人口は増加する反面、定住する夜間人口やこれに基づく有権者数は減少するという現象が発生した[2]。この状況に対し、定数是正問題と絡めて、昼間人口にも配慮した定数配分を求める意見も上がっていたが[3]、国会内の多数とはならず、昼間人口と比較すると極端に少ない定数配分での選挙が続けられた。

多くの事業所に選挙区外から通勤し、膨大な昼間人口の大半を占めるホワイトカラー労働者は同区での選挙権を持たない。従って同区の有権者は、戦前からこの地域で商売を行いながら居住する中小の商工業者、あるいは新宿区などに移住してきた勤労者や学生が多くなる。

勢力の推移

首都東京のトップナンバー選挙区として各選挙で高く注目され続け、各党も幹部クラスや知名度の高い候補を擁立して[4]、同区での勝利に力を入れた。

当初、この地域は都市労働者の支持を得た革新勢力の力が強く、最初の1947年第23回衆議院議員総選挙では浅沼稲次郎原彪日本社会党が2議席、野坂参三日本共産党が1議席を獲得する革新優勢の結果となった[5]。野坂は続く1949年第24回総選挙でトップ当選となったが、1950年連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から公職追放処分(レッドパージ)を受けて失職した[6]

1950年代の4回の総選挙では共産党が議席を失い[7]1955年自由民主党へ統合された保守勢力と、右派の浅沼と左派の原が議席を確保した社会党が2議席ずつを分け合った。保守側では1952年第25回総選挙で戦争直後の公職指定が解除された鳩山一郎安藤正純という2人の大物政治家が議席を占め[8]、特に1955年第27回総選挙では総理大臣になった鳩山と右派社会党書記長の浅沼が争う党首対決となったが、鳩山がトップ当選となった[9]

この状況を変えたのが麻生良方だった。浅沼の秘書だった麻生は1959年民主社会党の結党に参加し、1960年第29回総選挙で民社党公認で立候補して社会党委員長となった浅沼と対決した。この選挙の公示前に浅沼が赤尾敏が率いる大日本愛国党の元党員だった少年に刺殺される暗殺事件が発生し、社会党は妻の浅沼享子を擁立して原との2議席を守り[10]、麻生は次点に終わった。しかし、続く1963年第30回総選挙で当選し、1期で引退した浅沼享子の議席を引き継げなかった社会党が後退した。

1967年第31回総選挙からは分区後の新区割りで選挙が行われた東京1区は、定数3を巡って各党が競う激戦区になった。自民党は安藤の死後の第27回総選挙から当選を続けた元警視総監の田中栄一に続く2人目の議員を出せず、社会党[11]広沢賢一1969年第32回総選挙で落選し、1972年第33回総選挙には加藤清政が議席の奪還に成功したものの1976年第34回総選挙で落選するなど往時と比べて勢力の弱体化が目立った。広沢に代わったのは公明党渡部通子だったが、第33回総選挙で敗れ[12]1979年第35回総選挙で初当選した同党の木内良明も3回当選の反面2度落選して、選挙上手といわれて候補当選率の高い同党の中では例外となった。共産党は全国で躍進した第33回総選挙で紺野与次郎が当選して議席を奪回したが、これも1期で終わった[13]。民社党の麻生は第33回総選挙で落選し、政界引退を表明してテレビ番組などで評論活動をしていたが、第34回総選挙に「完全無所属」を宣言して同区から返り咲いた。

この中、都心のドーナツ化現象によって選挙区内の人口、特に労働者の有権者が減少し[14]、全体の年齢が高齢化した事は、同区での投票行動を保守化し、自民党に有利、社会党に不利に働くと分析された。自民党は第34回総選挙で新人の与謝野馨大塚雄司が当選し、分区後初めて2議席を得た。続く1979年第35回総選挙では与謝野が落選したが、1980年第36回総選挙では再び2人当選に成功し、以後は共に当選を重ねた。一方、伝統の東京1区の議席を守りたい社会党は第35回総選挙で飛鳥田一雄委員長を同区から立候補させ[15] トップ当選に成功したが、次の第36回総選挙では第24回総選挙の片山哲以来、史上2人目の同党委員長落選の危機が迫り、107人が当選した同党の候補で最後に当選確実が伝えられるほどの辛勝だった[16]1983年に飛鳥田が委員長を辞任して議員引退も表明すると、同年の第37回総選挙で社会党は佐々木秀典を擁立したが落選し、議席を再び失った[17]1990年第39回総選挙で「マドンナ旋風」に乗る社会党は鈴木喜久子をトップ当選させ、7年ぶりに議席を得たが、同党が惨敗した1993年第40回総選挙では落選した。

この第40回総選挙で吹き荒れた「新党ブーム」はこの東京1区でも起こった。テレビなどで活躍する経済評論家の海江田万里日本新党から出馬してトップ当選を決め、3位では新生党公認を得た柴野たいぞうが初当選した。この煽りで、自民党では大塚が7選を阻まれ、14年ぶりの1人当選(与謝野)となった。そして、海江田・与謝野・柴野の3人が、同じ区割りで小選挙区制に移行した新たな東京1区1996年第41回総選挙を争う事になった。

東京1区は国会・官公庁のある政治の中枢であることから、当選の可能性がほとんど見込めない、いわゆる泡沫候補が多く出馬する選挙区でもあった。衆議院議員経験のある赤尾敏や平井義一小田天界[18] の他、深作清次郎南俊夫太田竜東郷健などが諸派ないし無所属で立候補したが、当選からは遠かった。第39回総選挙ではオウム真理教が組織した真理党から教祖・松本智津夫(麻原彰晃)の妻の松本知子が立候補したが、惨敗している。

区域

1964年昭和39年)の公職選挙法改正当時の区域は以下のとおりである(定数3)[19]

1950年昭和25年公職選挙法施行当時の区域は以下のとおりである(定数4)[20]

選出議員

選挙名 #1 #2 #3 #4
第23回衆議院議員総選挙 1947年 浅沼稲次郎
日本社会党
櫻内義雄
民主党
原彪
(日本社会党)
野坂参三
日本共産党
第24回衆議院議員総選挙 1949年 野坂参三
(日本共産党)
井手光治
民主自由党
浅沼稲次郎
(日本社会党)
野村専太郎
(民主自由党)
第25回衆議院議員総選挙 1952年 鳩山一郎
自由党
浅沼稲次郎
右派社会党
原彪
左派社会党
安藤正純
(自由党)
第26回衆議院議員総選挙 1953年 鳩山一郎
分党派自由党
浅沼稲次郎
(右派社会党)
安藤正純
(自由党)
原彪
(左派社会党)
第27回衆議院議員総選挙 1955年 鳩山一郎
日本民主党
安藤正純
(日本民主党)
原彪
(左派社会党)
浅沼稲次郎
(右派社会党)
第28回衆議院議員総選挙 1958年 田中栄一
自由民主党
浅沼稲次郎
(日本社会党)
原彪
(日本社会党)
鳩山一郎
(自由民主党)
第29回衆議院議員総選挙 1960年 安井誠一郎
(自由民主党)
浅沼享子
(日本社会党)
田中栄一
(自由民主党)
原彪
(日本社会党)
第30回衆議院議員総選挙 1963年 田中栄一
(自由民主党)
麻生良方
民主社会党
原彪
(日本社会党)
四宮久吉
(自由民主党)
第31回衆議院議員総選挙 1967年 田中栄一
(自由民主党)
広沢賢一
(日本社会党)
麻生良方
(民主社会党)
第32回衆議院議員総選挙 1969年 田中栄一
(自由民主党)
麻生良方
(民主社会党)
渡部通子
公明党
第33回衆議院議員総選挙 1972年 紺野与次郎
(日本共産党)
田中栄一
(自由民主党)
加藤清政
(日本社会党)
第34回衆議院議員総選挙 1976年 麻生良方
無所属
与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
第35回衆議院議員総選挙 1979年 飛鳥田一雄
(日本社会党)
木内良明
(公明党)
大塚雄司
(自由民主党)
第36回衆議院議員総選挙 1980年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
飛鳥田一雄
(日本社会党)
第37回衆議院議員総選挙 1983年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
木内良明
(公明党)
第38回衆議院議員総選挙 1986年 与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
木内良明
(公明党)
第39回衆議院議員総選挙 1990年 鈴木喜久子
(日本社会党)
与謝野馨
(自由民主党)
大塚雄司
(自由民主党)
第40回衆議院議員総選挙 1993年 海江田万里
日本新党
与謝野馨
(自由民主党)
柴野たいぞう
新生党

選挙結果

解散日:1993年(平成5年)6月18日 投票日:1993年(平成5年)7月18日
当日有権者数:385,773人 最終投票率:57.47%(前回比:5.51ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
海江田万里 44 日本新党 63,939票
29.15%
与謝野馨 54 自由民主党 39,867票
18.18%
柴野たいぞう 42 新生党 34,784票
15.86%
大塚雄司 64 自由民主党 28,382票
12.94%
鈴木喜久子 57 日本社会党 26,711票
12.18%
筆坂秀世 45 日本共産党 24,542票
11.19%
今泉雲海 51 無所属 530票
0.24%
東郷健 61 雑民党 450票
0.21%
浅野光雪 42 国民党 118票
0.05%

解散日:1990年(平成2年)1月24日 投票日:1990年(平成2年)2月18日
当日有権者数:411,726人 最終投票率:62.98%(前回比:6.18ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
鈴木喜久子 54 日本社会党 72,117票
28.10%
与謝野馨 51 自由民主党 63,824票
24.87%
大塚雄司 60 自由民主党 51,490票
20.06%
木内良明 45 公明党 43,321票
16.88%
筆坂秀世 41 日本共産党 23,754票
9.25%
久保田孝 48 無所属 1,188票
0.46%
太田竜 59 地球維新党 341票
0.13%
松本和子 31 真理党 276票
0.11%
清原淳永 56 地球維新党 187票
0.07%
木本幸雄 61 日本国民権利擁護連盟 169票
0.07%

解散日:1986年(昭和61年)6月2日 投票日:1986年(昭和61年)7月6日
当日有権者数:448,188人 最終投票率:56.80%(前回比:0.71ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
与謝野馨 47 自由民主党 67,285票
27.10%
大塚雄司 57 自由民主党 55,795票
22.48%
木内良明 41 公明党 51,000票
20.54%
和田静夫 59 日本社会党 39,667票
15.98%
筆坂秀世 38 日本共産党 33,204票
13.38%
木本幸雄 58 日本国民権利擁護連盟 704票
0.28%
南俊夫 74 世界連邦政府創設委員会 585票
0.24%

解散日:1983年(昭和58年)11月28日 投票日:1983年(昭和58年)12月18日
当日有権者数:456,747人 最終投票率:56.09%(前回比:9.77ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
与謝野馨 45 自由民主党 59,189票
23.36%
大塚雄司 54 自由民主党 50,636票
19.98%
木内良明 39 公明党 50,071票
19.76%
平山知子 44 日本共産党 47,179票
18.62%
佐々木秀典 49 日本社会党 42,991票
16.96%
赤尾敏 84 大日本愛国党 1,308票
0.52%
北島雅彦 29 日本自由民主党 858票
0.34%
松田菊寿 29 無所属 741票
0.29%
木本幸雄 55 日本国民権利擁護連盟 445票
0.18%

解散日:1980年(昭和55年)5月19日 投票日:1980年(昭和55年)6月22日
当日有権者数:453,536人 最終投票率:65.86%(前回比:13.54ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
与謝野馨 41 自由民主党 76,274票
25.92%
大塚雄司 51 自由民主党 59,277票
20.15%
飛鳥田一雄 65 日本社会党 50,142票
17.04%
木内良明 35 公明党 48,351票
16.43%
平山知子 40 日本共産党 43,434票
14.76%
今井晶三 49 新自由クラブ 13,161票
4.47%
千代丸健二 47 革新自由連合 1,967票
0.67%
矢田茂 62 無所属 1,410票
0.48%
木本幸雄 52 日本国民権利擁護連盟 205票
0.07%

解散日:1979年(昭和54年)9月7日 投票日:1979年(昭和54年)10月7日
当日有権者数:452,797人 最終投票率:52.32%(前回比:9.62ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
飛鳥田一雄 64 日本社会党 50,823票
21.23%
木内良明 35 公明党 45,268票
18.91%
大塚雄司 50 自由民主党 42,503票
17.75%
与謝野馨 41 自由民主党 40,796票
17.04%
平山知子 40 日本共産党 36,668票
15.31%
麻生良方 55 無所属 23,051票
9.63%
北崎辰雄 51 第三世代党 237票
0.10%
増田眞一 56 政事公団太平会 91票
0.04%

任期満了日: 投票日:1976年(昭和51年)12月5日
当日有権者数:470,586人 最終投票率:61.94%(前回比:4.08ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
麻生良方 52 無所属 59,808票
20.74%
与謝野馨 38 自由民主党 53,034票
18.39%
大塚雄司 47 自由民主党 46,177票
16.02%
木内良明 32 公明党 45,813票
15.89%
加藤清政 59 日本社会党 42,666票
14.80%
紺野与次郎 66 日本共産党 39,754票
13.79%
小田俊与 69 無所属 480票
0.17%
日月外記 63 国民新党 391票
0.14%
南俊夫 64 世界連邦創設委員会 190票
0.07%

解散日:1972年(昭和47年)11月13日 投票日:1972年(昭和47年)12月10日
当日有権者数:508,071人 最終投票率:57.86%(前回比:4.26ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
紺野与次郎 62 日本共産党 58,907票
20.21%
田中栄一 71 自由民主党 56,627票
19.42%
加藤清政 55 日本社会党 49,310票
16.91%
渡部通子 40 公明党 45,695票
15.67%
与謝野馨 34 自由民主党 40,963票
14.05%
麻生良方 48 民社党 39,029票
13.39%
鎌田文雄 73 無所属 594票
0.20%
清水亘 63 議会主義政治擁護国民同盟 210票
0.07%
南俊夫 60 世界連邦創設委員会 182票
0.06%

解散日:1969年(昭和44年)12月2日 投票日:1969年(昭和44年)12月27日
当日有権者数:523,711人 最終投票率:53.60%(前回比:0.34ポイント)

当落 氏名 年齢 所属党派 新旧 得票 得票率 推薦・支持
田中栄一 68 自由民主党 66,501票
23.91%
麻生良方 46 民社党 47,006票
16.90%
渡部通子 37 公明党 45,625票
16.40%
紺野与次郎 59 日本共産党 39,493票
14.20%
広沢賢一 50 日本社会党 39,090票
14.05%
丸山茂 59 自由民主党 37,619票
13.53%
斎藤祐蔵 66 無所属 1,298票
0.47%
森悦子 60 大日本独立青年党議会主義政治擁護国民同盟 475票
0.17%
鎌田文雄 70 無所属 310票
0.11%
高橋忠春 70 無所属 235票
0.08%
三井常三 62 立憲養正会 200票
0.07%
金谷政雄 60 無所属 181票
0.07%
深作清次郎 58 世界連邦日本国民会議 106票
0.04%

第31回衆議院議員総選挙 (1967年(昭和42年)1月29日執行)
当日有権者数:549,307人  投票率:53.26%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
田中栄一 65 自由民主党 80,799票 28.3%
広沢賢一 47 日本社会党 61,914票 21.7%
麻生良方 43 民主社会党 60,918票 21.4%
  丸山茂 56 自由民主党 35,879票 12.6%
  紺野与次郎 56 日本共産党 32,908票 11.5%
  平井義一 53 無所属 (保守系) 7,857票 2.7%
  小林梅子 58 無所属 2,367票 0.8%
  森悦子 57 議会主義政治擁護国民同盟 802票 0.3%
  鎌田文雄 67 無所属 544票 0.2%
  小田俊与 60 無所属 537票 0.2%
  野々上武敏 57 政財界浄化刷新連盟 372票 0.1%
  国沢徳五郎 86 尊王民意立正安国立憲不二誠統 225票 0.0%

第30回衆議院議員総選挙 (1963年(昭和38年)11月21日執行)
当日有権者数:921,406人  投票率:54.99%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
田中栄一 62 自由民主党 142,688票 28.7%
麻生良方 39 民主社会党 83,192票 16.7%
原彪 68 日本社会党 77,481票 15.6%
四宮久吉 68 自由民主党 74,573票 15.0%
  広沢賢一 44 日本社会党 67,614票 13.6%
  聴濤克巳 59 日本共産党 41,670票 8.4%
  品川司 53 無所属 3,727票 0.7%
  鎌田文雄 64 無所属 791票 0.1%
  南俊夫 51 無所属 731票 0.1%
  清水亘 54 議会主義 676票 0.1%
  高橋秀郎 58 立憲養正会 529票 0.1%
  山本達郎 25 防共挺身隊 501票 0.1%
  中村吟造 67 無所属 487票 0.0%
  平野世界 50 無所属 466票 0.0%
  荒原朴水 58 無所属 425票 0.0%
  木村八郎 43 肥後亨事務所 411票 0.0%
  岸本力男 43 大日本独立青年党 284票 0.0%
  藤田一郎 38 肥後亨事務所 256票 0.0%
  浜十九 27 肥後亨事務所 164票 0.0%
  森高十六 59 肥後亨事務所 57票 0.0%

第29回衆議院議員総選挙 (1960年(昭和35年)11月20日執行)
当日有権者数:859,626人  投票率:59.67%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
安井誠一郎 69 自由民主党 138,332票 27.4%
浅沼享子 56 日本社会党 107,974票 21.3%
田中栄一 59 自由民主党 90,653票 17.9%
原彪 65 日本社会党 84,651票 16.7%
  麻生良方 36 民主社会党 55,655票 11.0%
  聴濤克巳 56 日本共産党 19,795票 3.9%
  品川司 50 無所属 1,368票 0.3%
  小田俊与 53 自由民主党新人連盟 1,074票 0.2%
  平林太一 63 無所属 796票 0.1%
  小田天界 56 民族社会党 641票 0.1%
  遠藤義孝 38 無所属 543票 0.1%
  鎌田文雄 61 無所属 523票 0.1%
  児玉富士太郎 50 日本五誓会 495票 0.0%
  筑紫次郎 41 無所属 490票 0.0%
  清水亘 51 議会主義政治擁護国民同盟 466票 0.0%
  山下順一郎 25 無所属 460票 0.0%
  佐々木励 48 無所属 446票 0.0%
  肥後亨 34 無所属 387票 0.0%
  野々上武敏 50 政界浄化会議 274票 0.0%
  加藤大三 37 無所属 233票 0.0%
  南俊夫 48 促進同志会・生活愛護の会 173票 0.0%
  樫村広史 64 敬真能力党 141票 0.0%

第28回衆議院議員総選挙 (1958年(昭和33年)5月22日執行)
当日有権者数:864,214人  投票率:66.62%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
田中栄一 56 自由民主党 149,304票 26.1%
浅沼稲次郎 59 日本社会党 125,597票 22.0%
原彪 63 日本社会党 97,833票 17.1%
鳩山一郎 75 自由民主党 89,572票 15.7%
  長野高一 65 自由民主党 67,225票 11.8%
  聴濤克巳 54 日本共産党 30,087票 5.3%
  品川司 47 無所属 3,825票 0.7%
  平林太一 61 無所属 2,198票 0.4%
  小田俊与 51 世界連邦促進戦争防止水爆禁止死の灰禍対策国民生活安定人道主義政治連盟 1,809票 0.3%
  鎌田文雄 58 無所属 1,638票 0.3%
  長谷川武一郎 58 無所属 1,044票 0.2%
  岸本力男 38 無所属 721票 0.1%
  貴島桃隆 56 無所属 701票 0.1%

第27回衆議院議員総選挙 (1955年(昭和30年)2月27日執行)
当日有権者数:808,865人  投票率:67.91%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
鳩山一郎 72 日本民主党 149,541票 27.4%
安藤正純 78 日本民主党 93,819票 17.2%
原彪 60 左派社会党 89,575票 16.4%
浅沼稲次郎 56 右派社会党 77,417票 14.2%
  野村専太郎 53 自由党 63,316票 11.6%
  長野高一 61 日本民主党 37,177票 6.8%
  宮本顕治 46 日本共産党 27,825票 5.1%
  品川司 44 日本平和党 1,809票 0.3%
  小田天界 50 国民党 1,245票 0.2%
  樫村広史 59 無所属 635票 0.1%
  鎌田文雄 55 無所属 628票 0.1%
  星井一 48 大日本独立青年党 626票 0.1%
  長谷川武一郎 55 立憲興国産業皇民党 623票 0.1%
  林武一 55 日本人民党 526票 0.0%

第26回衆議院議員総選挙 (1953年(昭和28年)4月19日執行)
当日有権者数:763,991人  投票率:60.13%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
鳩山一郎 69 分党派自由党 100,610票 22.1%
浅沼稲次郎 54 右派社会党 76,758票 16.9%
安藤正純 77 自由党 67,234票 14.8%
原彪 58 左派社会党 58,814票 12.9%
  野村専太郎 52 自由党 43,339票 9.5%
  中島弥団次 66 改進党 36,590票 8.0%
  頼母木真六 54 改進党 20,937票 4.6%
  細川嘉六 64 日本共産党 19,353票 4.2%
  井手光治 48 自由党 16,723票 3.7%
  駒井重次 58 改進党 8,562票 1.9%
  川口寿 54 無所属 2,758票 0.6%
  小田天界 49 国気を譲る会 1,197票 0.3%
  品川司 42 日本平和党 787票 0.2%
  小林昌治 48 無所属 748票 0.2%
  肥後亨 26 国家社会主義労働党 397票 0.0%
  鎌田文雄 54 無所属 319票 0.0%

第25回衆議院議員総選挙 (1952年(昭和27年)10月1日執行)
当日有権者数:816,305人  投票率:59.36%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
鳩山一郎 69 自由党 108,660票 22.6%
浅沼稲次郎 53 右派社会党 81,796票 17.0%
原彪 57 左派社会党 46,913票 9.8%
安藤正純 75 自由党 41,710票 8.7%
  野村専太郎 51 自由党 33,814票 7.0%
  中島弥団次 66 改進党 27,133票 5.6%
  長野高一 59 自由党 24,249票 5.0%
  細川嘉六 63 日本共産党 21,426票 4.4%
  井手光治 47 自由党 19,757票 4.1%
  頼母木真六 53 改進党 19,490票 4.0%
  高橋義次 69 改進党 12,018票 2.5%
  駒井重次 57 改進党 11,988票 2.5%
  宮島ヒサ 53 自由党 9,824票 2.0%
  川口寿 53 自由党 5,365票 1.1%
  太田金次郎 55 無所属 4,949票 1.0%
  今井はつ 51 無所属 2,869票 0.6%
  紺野俊雄 44 日本再建連盟 2,307票 0.5%
  清水亘 43 大日本独立青年党 1,826票 0.4%
  宗前清 54 無所属 1,681票 0.3%
  白石清 43 無所属 1,517票 0.3%
  品川司 41 無所属 393票 0.0%
  関根信義 59 無所属 355票 0.0%
  肥後亨 26 国家社会主義労働党 286票 0.0%
  鎌田文雄 53 無所属 214票 0.0%

第24回衆議院議員総選挙 (1949年(昭和24年)1月23日執行)
当日有権者数:600,843人  投票率:55.72%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
野坂参三 56 日本共産党 61,202票 18.5%
井手光治 44 民主自由党 40,456票 12.2%
浅沼稲次郎 50 日本社会党 36,291票 11.0%
野村専太郎 48 民主自由党 35,350票 10.7%
  高橋庄八郎 36 民主自由党 33,859票 10.2%
  櫻内義雄 36 民主党 30,172票 9.1%
  丸山茂 39 民主自由党 26,719票 8.1%
  原彪 54 日本社会党 26,456票 8.0%
  宮島ヒサ 50 民主自由党 14,819票 4.5%
  安田徳治 55 民主自由党 4,886票 1.5%
  原亨 34 国民協同党 4,822票 1.4%
  今井はつ 48 無所属 4,788票 1.4%
  谷村勇 58 無所属 2,668票 0.8%
  白石清 40 無所属 2,366票 0.7%
  田中正義 50 無所属 2,357票 0.7%
  東瀬利雄 43 民主自由党 716票 0.2%
  松本武夫 43 無所属 640票 0.2%
  豊口茂治 50 無所属 576票 0.2%
  田辺軍太郎 49 民主党 506票 0.1%
  楠間亀楠 68 無所属 386票 0.1%
  千代田一郎 35 講和党 295票 0.0%
  鎌田文雄 50 無所属 176票 0.0%
  東条栄之助 43 無所属 145票 0.0%

第23回衆議院議員総選挙 (1947年(昭和22年)4月25日執行)
当日有権者数:471,564人  投票率:56.82%(前回比:)

当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 得票率
浅沼稲次郎 48 日本社会党 43,646票 16.5%
櫻内義雄 34 民主党 37,296票 14.1%
原彪 52 日本社会党 32,677票 12.3%
野坂参三 55 日本共産党 28,628票 10.8%
  渡辺銕蔵 61 日本自由党 23,571票 8.9%
  尾津喜之助 49 日本自由党 23,380票 8.8%
  丸山茂 37 日本自由党 14,950票 5.6%
  中田俊一 45 民主党 11,471票 4.3%
  宮島久 48 無所属 7,936票 3.0%
  真木康年 34 新鋭大衆党 7,263票 2.7%
  山本長蔵 40 立憲勤労党 5,525票 2.1%
  太田信治郎 74 無所属 4,694票 1.8%
  棚橋元治 52 民主党 4,691票 1.8%
  田中正義 48 民主党 4,338票 1.6%
  白石清 38 日本民主同盟 3,637票 1.4%
  米山理市 49 無所属 2,656票 1.0%
  北内勘平 53 日本自由党 2,054票 0.8%
  北見徳蔵 39 日本自由党 1,954票 0.7%
  天野晴久 46 民主党 1,489票 0.6%
  松元光三 42 協生党 1,460票 0.5%
  折谷元信 37 無所属 562票 0.2%
  正木金治 35 無所属 502票 0.2%
  藤井末雄 42 無所属 309票 0.1%
  鎌田文雄 48 無所属 133票 0.0%
  東瀬利雄 41 無所属 65票 0.0%

備考

  1. ^ 実質的には8区の定数3と合わせ、2人増。8区は1992年の同法改正で定数2へ1人削減された。
  2. ^ 例えば、千代田区では2000年のデータとして昼間人口855,172人、夜間人口36,035人(昼間が夜間の23.7倍)という調査結果が同区のホームページで紹介されている [1]
  3. ^ この要求は東京都議会での定数是正問題でより強かったが、実現しなかった。
  4. ^ 例えば、浅沼の自宅は東京都江東区にあり、飛鳥田は地盤の横浜から移動しての立候補となった。
  5. ^ 保守唯一の当選者は民主党櫻内義雄。櫻内は第24回選挙で落選し、その後参議院の島根県選挙区、さらに衆議院の島根県全県区に転じた。
  6. ^ その後、参議院の東京都選挙区で当選。
  7. ^ 同党は第27回の宮本顕治をはじめ、細川嘉六聴濤克巳などの党内有力者を擁立したが、当選ラインには遠かった。
  8. ^ 2人とも衆議院議員在職中に死去。
  9. ^ 浅沼は最下位当選(4位)。また、六全協武装闘争路線の放棄を決定する直前の共産党から出馬した宮本は、主要政党の立候補者7人中の最下位(総数では14人中7位)。逆に、1958年第28回総選挙では社会党書記長(ナンバー2)の浅沼(2位)が首相退任後の鳩山(4位)を抑えたが、トップ当選は安藤の死去後に自民党新人の田中に譲った。
  10. ^ トップ当選は初代東京都知事だった自民党新人の安井誠一郎
  11. ^ 原は分区後の東京8区に移ったが落選し、引退。
  12. ^ その後、夫・一郎の地盤である兵庫県選出の参議院議員に転進。
  13. ^ その後、同党は弁護士の平山知子や、後に参議院議員になる筆坂秀世を擁立したが、当選は出来なかった。
  14. ^ その後、小選挙区制になってから、2010年代に掛けて都心回帰で人口増に転じている。
  15. ^ 飛鳥田は横浜市長を辞任して中央政界に戻ったため、かつての地盤の神奈川1区からの出馬が困難だった。なお、このあおりを受けて加藤清政は参議院議員選挙に東京都選挙区から出馬するが落選、その後千代田区長となる。
  16. ^ この際、「俺が苦戦するのもしょうがねえや、ろくに地元にいねえんだもんな」という飛鳥田の言葉が報じられている。
  17. ^ 佐々木は第39回総選挙で北海道2区から当選した。1986年第38回総選挙で同党公認だった元参議院議員・東京都知事選候補の和田静夫も、同選挙で埼玉1区で当選した。
  18. ^ 赤尾は戦時中の1942年第21回総選挙で旧東京6区から当選1回、平井は1948年から1960年まで福岡4区から通算5回当選している。小田も戦前の一時期、沖縄県選出の衆議院議員だった。
  19. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第046回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法の一部を改正する法律 法律第百三十二号(昭三九・七・二)”. 衆議院 (1964年7月2日). 2022年1月22日閲覧。地名は1964年(昭和39年)当時のものである。
  20. ^ 衆議院トップページ >立法情報 >制定法律情報 >第007回国会 制定法律の一覧 >公職選挙法 法律第百号(昭二五・四・一五)”. 衆議院 (1950年4月15日). 2022年1月22日閲覧。地名は1950年(昭和25年)当時のものである。

関連項目

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「東京都第1区_(中選挙区)」の関連用語

東京都第1区_(中選挙区)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



東京都第1区_(中選挙区)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの東京都第1区 (中選挙区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS