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井手光治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/24 13:44 UTC 版)

井手 光治(いで みつじ、1905年明治38年)1月26日[1] - 1986年昭和61年)12月30日[1][2])は、昭和期の公吏、政治家実業家衆議院議員(1期)、芝区長、港区長(公選初代)

経歴

長崎県出身[1][2]。1924年(大正13年)長崎商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)を卒業[2]。その後、早稲田専門学校で学んだ[2][注 1]

東京市役所に入り事務員となる[2]。その後、東京都制施行に伴い東京都事務官に就任[2]。1945年(昭和20年)12月、芝区長に就任[1][2]。1947年(昭和22年)4月、公選初代港区長に選出された[1][2]

1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙東京都第1区から民主自由党公認で立候補して当選し[2][3]、衆議院議員に1期在任した[1][2]。その後、第25回第26回総選挙に立候補したがいずれも落選した[4]

1981年(昭和56年)11月の秋の叙勲勲四等に叙され、旭日小綬章を受章する[5]

その他、新橋商事取締役社長、東港汽船取締役社長などを務めた[2]

1986年(昭和61年)12月30日、死去した。81歳没。翌1987年1月9日、特旨を以て位三級を追陞され、死没日付をもって正七位から従五位に叙された[6]

脚注

注釈

  1. ^ 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』61頁では卒業。

出典

  1. ^ a b c d e f 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』61頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』34頁。
  3. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』135頁。
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』136-137頁。
  5. ^ 『官報』号外第97号2・3頁 昭和56年11月6日号
  6. ^ 『官報』第17971号11頁 昭和62年1月14日号

参考文献

  • 『ジャパン WHO was WHO 物故者事典 1983-1987』日外アソシエーツ、1988年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
公職
先代
新設
東京都港区長
1947年 - 1948年
次代
矢田直三
先代
高田賢治郎
東京都芝区長
1945年 - 1947年
次代
廃止



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