浅沼享子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 浅沼享子の意味・解説 

浅沼享子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 03:22 UTC 版)

浅沼 享子
あさぬま きょうこ
生年月日 1904年2月10日
出生地 東京都
没年月日 (1981-03-10) 1981年3月10日(77歳没)
所属政党 日本社会党
配偶者 浅沼稲次郎

衆議院議員
選挙区 旧東京1区
当選回数 1回
在任期間 1960年 - 1963年
テンプレートを表示

浅沼 享子(あさぬま きょうこ、1904年2月10日 - 1981年3月10日)は、昭和時代の政治家衆議院議員(1期)を務めた。浅沼稲次郎の妻。

略歴

1904年(明治37年)東京都生まれ。前夫と離婚して九州から上京、協調会館の食堂で働き、客としてよく来ていた浅沼稲次郎(のち日本社会党委員長)と1928年頃に結婚した[1]。1945年、日本社会党に入党し、婦人問題研究会常任理事となる。しかし1960年(昭和35年)10月に、夫の浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂での演説中に山口二矢刺殺された。同年11月の第29回衆議院議員総選挙東京1区に日本社会党から出馬し、民社党の麻生良方(元浅沼稲次郎秘書)を破り、2位で初当選する。1位は安井誠一郎前東京都知事。1期のみ務め、次回の第30回衆議院議員総選挙(1963年11月)には立候補せず引退した(麻生良方は初当選。)。墓所は多磨霊園。稲次郎との間に実子はおらず、稲次郎の遠縁の娘を養女としていた[1]

参考文献

  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』衆議院、1990年。

脚注

  1. ^ a b 『革命への挽歌 自伝的戦後政治秘史』麻生良方、講談社、1977、p11

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「浅沼享子」の関連用語

浅沼享子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



浅沼享子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの浅沼享子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS