勢力の推移とは? わかりやすく解説

勢力の推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:50 UTC 版)

新潟県第3区 (中選挙区)」の記事における「勢力の推移」の解説

この新潟3区は同選挙区から唯一内閣総理大臣になった自由民主党田中角栄選挙区であることで知られていたが、それでも田中影響力最初のうちは大きとは言えなかった。むしろ地主商家出身だった亘四郎らの方が強く田中は彼らの後塵拝していた。田中勢力伸びるようになったのは選挙区中でも辺境とされた魚沼地区への浸透加え長岡鉄道社長となって沿線に当たる三島郡支持拡大してからで、1952年第25回衆議院議員総選挙トップ当選飾って以来田中が、亘や大野市郎更には1960年第29回総選挙初当選した村山達雄凌駕する勢いとなる。 その一方日本社会党戦前農民運動得た強力な支持基盤残していた。戦前中選挙区だった旧新潟3区では、三宅正一1936年第19回総選挙社会大衆党公認として当選している。戦後三宅公職追放となるも、代わりに小林進稲村順三当選三宅公職追放解除後の1952年第25回)で新潟3区復帰した。同じ農民運動出身とは言え右派三宅小林左派稲村では支持基盤政策違いがあり、このため社会党1955年第27回)と1960年第29回)に3議席獲得した。それでも党勢の退潮に伴い1969年第27回)には左派稲村稔夫落選以降候補者右派三宅小林に絞込む。田中地元地域振興策で社会党地方議員首長との良好な関係を維持し左派教条主義と距離を置いた右派強かった事などから、新潟3区では越山会社会党温存並立した。 1970年代以降は、後援会越山会」が選挙区隅々まで組織され強力な田中支配」の下、田中角栄が何票獲得するかが毎回注目され、その残り他の候補者で争う構図となった1976年第34回総選挙では、中曽根康弘秘書だった渡辺秀央初当選大野落選)。1979年第35回総選挙では、当時越山会青年部長だった桜井新造反して立候補。この時は落選したものの、翌1980年第36回総選挙初当選果たし以後当選重ねた1983年ロッキード事件一審判決直後第37回衆議院議員総選挙通称ロッキード選挙」では、実刑判決を受け控訴中の身で自由民主党を離党していた田中越山会地元国政への功績強調して称え参議院議員辞職して立候補した野坂昭如らを抑えた田中22票余を獲得して当選し全国での自民党敗北好対照をなした。他候補者は3倍の正規分布得票だったが、角栄は9.33倍だった。統計的には9シグマ以上、100分の1以下確率である。「超自然的な事象」であり、「天才たる所以である」と池田信夫評している。 1986年第38回衆議院議員総選挙自民党圧勝するが、1985年脳梗塞倒れ政治活動どころか日常生活まで重大な支障来した田中は全く選挙活動ができなかった。この時は越山会が「オヤジ田中)のために花道を」と精力的に活動し179千票余り大量得票田中連続16期、そして最後当選贈った田中引退し消費税導入された後の1990年第39回)では、田中票をめぐって星野行男小千谷市長)と諸里正典十日町市長)が出馬。更に全国的な社会党への支持率高まりから、社会党久々に2人当選を狙う。だが、前職渡辺桜井加え大蔵大臣だった村山逆風の中で最下位当選保守系新人星野のみが当選した社会党新人目黒吉之助だけの当選とどまり前職坂上富男落選終わっている。最後の選挙になった1993年第40回では角栄の娘の田中眞紀子出馬しトップ初当選果たした田中星野小選挙区制になった1996年第41回衆議院議員総選挙新潟5区から共に立候補し田中当選したその他の党では、公明党1969年第32回)と1972年第33回)に次点入り当選まで肉薄したが、1960年候補擁立した民社党田中逮捕後の1976年第34回)・1979年第35回)に候補立てると中道政治勢力の票が分散しいずれも当選に届かなかった。選挙区内での支持広げられなかった日本共産党当選圏内から遠くその他の党も自民党成立後星野が旧田中派流れを汲む新生党当選した以外は振るわなかった。

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勢力の推移

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 10:08 UTC 版)

東京都第1区 (中選挙区)」の記事における「勢力の推移」の解説

首都東京のトップナンバー選挙区として各選挙高く注目され続け、各党も幹部クラス知名度の高い候補擁立して、同区での勝利力を入れた当初、この地域都市労働者支持得た革新勢力の力が強く最初1947年第23回衆議院議員総選挙では浅沼稲次郎原彪日本社会党が2議席野坂参三日本共産党が1議席獲得する革新優勢結果となった野坂は続く1949年第24回総選挙トップ当選となったが、1950年連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)から公職追放処分レッドパージ)を受けて失職した1950年代の4回の総選挙では共産党議席失い1955年自由民主党統合され保守勢力と、右派浅沼左派の原が議席確保した社会党が2議席ずつを分け合った保守側では1952年第25回総選挙戦争直後公職指定解除され鳩山一郎安藤正純という2人大物政治家議席占め、特に1955年第27回総選挙では総理大臣になった鳩山右派社会党書記長浅沼が争う党首対決となったが、鳩山トップ当選となった。 この状況変えたのが麻生良方だった。浅沼秘書だった麻生1959年民主社会党結党参加し1960年第29回総選挙民社党公認立候補して社会党委員長となった浅沼対決した。この選挙公示前に浅沼赤尾敏率い大日本愛国党の元党員だった少年刺殺され暗殺事件発生し社会党は妻の浅沼享子擁立して原との2議席守り麻生次点終わった。しかし、続く1963年第30回総選挙当選し1期引退した浅沼享子議席を引き継げなかった社会党後退した1967年第31回総選挙からは分区後の新区割り選挙が行われた東京1区は、定数3を巡って各党が競う激戦区になった自民党安藤死後の第27回総選挙から当選続けた警視総監田中栄一に続く2人目の議員出せず、社会党広沢賢一1969年第32回総選挙落選し1972年第33回総選挙には加藤清政議席奪還成功したものの1976年第34回総選挙落選するなど往時比べて勢力弱体化目立った広沢に代わったのは公明党渡部通子だったが、第33回総選挙敗れ1979年第35回総選挙初当選した同党の木内良明3回当選反面2度落選して選挙上手といわれて候当選率の高い同党の中では例外となった共産党全国躍進し第33回総選挙紺野与次郎当選して議席奪回したが、これも1期終わった民社党麻生第33回総選挙落選し政界引退表明してテレビ番組など評論活動をしていたが、第34回総選挙に「完全無所属」を宣言して同区から返り咲いたこの中都心ドーナツ化現象によって選挙区内の人口、特に労働者有権者減少し全体年齢高齢化した事は、同区での投票行動保守化し自民党に有利、社会党不利に働くと分析された。自民党第34回総選挙新人与謝野馨大塚雄司当選し分区初めて2議席得た。続く1979年第35回総選挙では与謝野落選したが、1980年第36回総選挙では再び2人当選成功し以後は共に当選重ねた一方伝統東京1区議席守りたい社会党第35回総選挙飛鳥田一雄委員長を同区から立候補させ トップ当選成功したが、次の第36回総選挙では第24回総選挙片山哲以来史上2人目の同党委員長落選危機迫り107人が当選した同党の候補最後に当選確実伝えられるほどの辛勝だった。1983年飛鳥田が委員長辞任して議員引退表明すると、同年第37回総選挙社会党佐々木秀典擁立した落選し議席を再び失った1990年第39回総選挙で「マドンナ旋風」に乗る社会党鈴木喜久子トップ当選させ、7年ぶりに議席得たが、同党が惨敗した1993年第40回総選挙では落選した。 この第40回総選挙吹き荒れた新党ブーム」はこの東京1区でも起こったテレビなど活躍する経済評論家海江田万里日本新党から出馬してトップ当選決め3位では新生党公認得た柴野たいぞう初当選した。この煽りで、自民党では大塚が7選を阻まれ14年ぶりの1人当選与謝野となった。そして、海江田与謝野柴野の3人が、同じ区割り小選挙区制移行した新たな東京1区1996年第41回総選挙を争う事になった東京1区国会官公庁のある政治中枢であることから、当選可能性がほとんど見込めない、いわゆる泡沫候補多く出馬する選挙区でもあった。衆議院議員経験のある赤尾敏平井義一小田天界 の他、深作清次郎南俊夫太田竜東郷健などが諸派ないし無所属立候補したが、当選からは遠かった第39回総選挙ではオウム真理教組織した真理党から教祖松本智津夫麻原彰晃)の妻の松本知子立候補したが、惨敗している。

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