勢力の拡張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:24 UTC 版)
「アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「勢力の拡張」の解説
1298年にアルブレヒトはフランスと同盟、翌1299年にフランス王フィリップ4世とクァトルヴォー条約を締結した。条約により、アルブレヒトの長子ルドルフとフィリップ4世の妹ブランシュの結婚が取り決められ、マース川が二国間の境界と定められた。 諸侯に対しては特権の承認、ラント平和令の発布、領土の返還請求に応じた。他方、諸侯が両国を形成することを妨げようと、帝国内の都市に保護を与えて自治を促進した。ラインの選帝侯たちは同盟してアルブレヒトに対抗したが、アルブレヒトは都市からの助けを受けて彼らを打ち破る。 アドルフと同じく、アルブレヒトもテューリンゲンとマイセンの獲得を試み、諸侯から強い反対を受ける。勢力を拡大するアルブレヒトに対し、選帝侯たちは彼の息子によるローマ王位の世襲に反対した。1303年、アルブレヒトは教皇権への服従と、ローマ教皇の同意無しに息子たちへのローマ王位の継承を行わないことを誓約し、教皇ボニファティウス8世からローマ王位を認められる。 アルブレヒトはボヘミアにも勢力の拡張を試み、ヴァーツラフ2世にクトナー・ホラの銀山から上がる収益などを要求した。1304年に帝国とボヘミアの間で軍事衝突が起こり、ボヘミアに敗れたアルブレヒトは要求を撤回した。1306年にボヘミア王ヴァーツラフ3世が没してボヘミアの王統が断絶すると、アルブレヒトはボヘミアに侵攻する。ボヘミア王に擁立されたヴァーツラフ2世の娘婿であるケルンテン公ハインリヒを追放し、長子のルドルフを新たなボヘミア王に据えた。しかし、翌1307年にルドルフは急死し、チェコ内の反ハプスブルク派は再びハインリヒを擁立する。同年にルッカ(ドイツ語版)での戦闘に敗れ、テューリンゲンへの介入は不成功に終わる。 盟約者同盟を構成するスイス森林州には特許状は発布しなかったものの、自治を黙認していた。だが、スイスではハプスブルクの支配に対する不安と独立の気運が高まり、フリードリヒ・フォン・シラーの戯曲などで知られる「ウィリアム・テル」伝説が生まれる。
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