勢力づくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 07:12 UTC 版)
1998年ごろ、高容姫は乳癌の診断を受け、片方の乳房の切除も検討されたが、それにより自身の金正日の伴侶としての地位が危うくなると心配した彼女は、医師たちの助言に抗して切除はせず、抗がん剤治療を選んだ。がん治療に際しては、フランスの医療チームが選ばれ、かれらが平壌に赴くか、あるいは高容姫がフランスへ行くこともあった。なお、成蕙琳と金正日の子である金正男はジュネーヴで、高恩姫の3人の子どもたちはそれぞれベルンで教育を受けさせた。 金正男は、2001年、偽造のドミニカ共和国旅券で日本に密入国を試み、失敗して成田空港で身柄を拘束されるという恥ずかしい事件を起こした。それ以前から金正男は平壌で飲み歩いて父より叱責されることが多かったりする不行状が目立ったが、これは金正日に金正男がより自由を与えるよう促し、正男が羽を伸ばして妻以外の女性とも交遊させたところで、最後には椅子をはずすという高容姫の計略だったのではないかとの指摘が近親者からなされた。韓国では、計算高い高容姫がわざと金正男の旅程を日本当局に漏洩したのだとする観測が生まれた。金正男を外す件については、その通りであったとしても、高容姫自身も成蕙琳同様正式な婚姻関係にないことから、彼女の息子たちも非嫡出子であること、彼女が日本生まれであること、妹が亡命したことなど彼女に不利な状況はつづいていた。 亡命した高英淑は、アメリカ当局の取り調べに対し、姉の高容姫は息子の金正哲を後継者にするため、勢力づくりをしていると答えた。その勢力の中心人物が李済剛と金容淳であるという。張成沢・金敬姫夫妻だけがその最大の対抗勢力であり、かれらは金正男の周りに集まった。そうしたときに成田空港での事件が起こったのである。
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