中野浩_(青森市長)とは? わかりやすく解説

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中野浩 (青森市長)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 04:07 UTC 版)

中野浩
なかの こう
生年月日 1876年
出生地 日本 青森県中津軽郡弘前
(現・青森県弘前市
没年月日 不明
出身校 明治大学法科卒業
前職 新聞記者

在任期間 1933年11月 - 1934年6月

在任期間 1932年10月1日 - 1933年11月2日

在任期間 1931年10月17日 - 1932年9月30日

在任期間 1926年8月8日 - 1930年8月7日

在任期間 1925年8月1日 - 1926年8月7日

その他の職歴
赤坂区
1920年4月 - 1925年8月)
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中野 浩(なかの こう、1876年明治9年)[1][2] - 没年不明)は日本政治家青森県青森市長。

来歴

青森県中津軽郡弘前に生まれる。青森県立弘前中学校(現・青森県立弘前高等学校)を経て[1]明治大学法科を卒業する[1][2]。卒業後は台湾総督府官吏となったが、短期間で辞職した[1]。その後は、時事新報東京毎日新聞の各記者を経て[1][2]東京市に入り、赤坂1920年4月から1925年8月まで[3])、深川(1925年8月1日から1926年8月7日まで[3])の各区長を務めた[1][2]

1926年、青森市長に就任。在任中に東津軽郡滝内村造道村の一部を編入[1]。練兵場の移転と青森港の拡張問題には苦慮した[2]1930年に市長を退任。東京に戻り、碑衾町最後の町長(1931年10月17日から1932年9月30日まで[4])を務めた後に淀橋1932年10月1日から1933年11月2日まで[3])、板橋(1933年11月から1934年6月まで[3])の各区長を務めた[1][2][5]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『日本の歴代市長』第1巻、194頁。
  2. ^ a b c d e f 『青森県人名事典』482頁。
  3. ^ a b c d 歴代区長一覧”. 東京都総務局. 2024年1月7日閲覧。
  4. ^ 『目黒区五十年史 資料編』東京都目黒区、1985年、331頁。doi:10.11501/9775306 
  5. ^ 岸田菊伴『大東京の全貌 2版』新東京社、1933年、75頁。doi:10.11501/1107360 

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。



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