淡谷清蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 10:05 UTC 版)
5代淡谷 清蔵(あわや せいぞう、1846年11月11日(弘化3年9月23日[1]) - 1923年(大正12年)7月10日[2])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員、青森市長。幼名・清作[3]。
経歴
陸奥国津軽郡青森(現青森県青森市)で、淡路島を祖とする呉服商「大世」の家に生まれる[3]。成人となり5代・清蔵を襲名して家業に従事し、安方町組頭となる[2][3]。1891年、銀行に類似した「盛融会」(ため講)を創立[3]。その後、商業会議所会頭、農工銀行取締役、青森電燈会社取締役、青森倉庫会社社長、青森貯蓄銀行専務取締役、青森銀行頭取、第五十九銀行取締役などを務めた[2]。
政界では、町連合会議員、同議長、所得税調査委員、青森市会議員、同議長、青森県会議員を務めた[2]。1903年3月、第8回衆議院議員総選挙で青森県青森市から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた[2]。
1908年12月7日、青森市長に就任して1910年3月31日まで在任し、青森築港期成同盟会の発足などの功績を残して政界を引退した[3]。
淡谷家
先祖は淡路島の出身で、北前船の船乗りだった初代の源四郎が明和元年(1764年)に龍飛沖で遭難し、救助後そのまま青森にとどまり、安方町で阿波屋という屋号の魚商を営んだ[4]。その後、魚商から呉服商へ転換し、「大世」の屋号で青森町屈指の豪商へと成長した[4]。清蔵は源四郎から数えて5代目[4]。
日本社会党衆議院議員を務めた淡谷悠蔵は甥(妹の五男)にあたる。また、歌手の淡谷のり子は大姪にあたる。
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
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