分党派自由党
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 01:11 UTC 版)
「日本自由党 (1953-1954)」の記事における「分党派自由党」の解説
1953年(昭和28年)2月28日、衆議院予算委員会における首相・吉田茂の“バカヤロー”発言後、首相懲罰動議採決で欠席した吉田自由党鳩山派は、その後の内閣不信任案の採決にあたって、不信任案可決を狙い吉田自由党を離党。同じく懲罰動議採決に欠席し農林大臣を罷免されていた広川弘禅も加えて、分党派自由党を結成した。鳩山が党首であるので鳩山自由党とも呼ばれる。吉田自由党とまぎらわしいためマスコミがこのように呼び出したという説がある。 総選挙後に鳩山を含む大半は吉田自由党に復党したものの、三木武吉や河野一郎ら8名は復党せずに後述の「日本自由党」を結成。 同じ表記で5年前まで存在した「日本自由党 (1945-1948)」は読みが「にほんじゆうとう」。
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