分党と新進党への参加とは? わかりやすく解説

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分党と新進党への参加

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 05:11 UTC 版)

公明党」の記事における「分党と新進党への参加」の解説

政治改革過程衆議院選出小選挙区比例代表並立制移行していたため、反自民連合の旧与党による新党結成される必要が生じた。しかし各党派中でも公明党大量の党職員地方議員抱えており、地方議会多くでは自民党連立組んでいたため、直ち丸ごと新党合流できない事情があった。そこで、改選の近い衆議院議員1995年改選参議院議員先行して新党に加わることとなり、1994年12月5日公明党先行参加組による暫定的な政党公明新党」と後発組「公明」に分党される。公明新党10日解散し同日結成新進党合流した地方議員は党職員とともに公明」に残って事実上公明党身分活動し機関紙も「公明」が発行され続けた新進党1995年第17回参議院議員通常選挙自民党肉薄する戦績を残す。その要因自民党社会党手を結んだことに加え阪神・淡路大震災オウム真理教事件の対応に不満を持つ無党派層得票学会票による票の上積みプラスされたことであり、総選挙でもこの連携加えて無党派層取り込めれば政権交代は確実という見方もあった。これに危機感抱いた自民党は、学会公明党新進党との離反を図る。参院選後の国会でオウム真理教事件受けて宗教法人法改正案審議されたが、審議過程自民党学会名誉会長である池田参考人招致要求するその後会長秋谷栄之助参考人聴取決着する)。この法改正自体オウム事件の後を受けたものであり、輿論支持高かった。「学会法改正反対している」というイメージを除くために、新進党側は法案審議前にして政務会長市川らを党の要職から外した市川らはこれに反発し市川らと幹事長である小沢との間に亀裂生じたその後自民党政教分離原則絡めて公明党揺さぶりつつ、創価学会と近い竹下派公明グループ新進党からの離脱働きかける。 旧公明党徐々に新進党から離反し始め1996年地方選挙では学会員新進党候補応援せずに自主投票としたり、あるいは自民党候補あからさまに応援するなど分裂選挙化した第41回衆議院議員総選挙では公明党創価学会選挙協力万全に進まず一部選挙区では創価学会人物本位のもと対立候補自民党民主党候補者投票するなど票が分裂した。さらに新進党無党派層の票を集めることができずに政権交代失敗したため、選挙直後から議員離党相次ぐうになる1997年12月、「公明」は新進党へ合流見送り、翌1998年参院選は完全に独自で戦うことを決定する直後新進党分裂し完全消滅した。 以後公明党この分党・新進党合流について言及することはほとんどなかったが、1999年党大会では「出自の違う複数政党強引に二大政党つくったために上手くゆかなかった」との総括打ち出されている。

※この「分党と新進党への参加」の解説は、「公明党」の解説の一部です。
「分党と新進党への参加」を含む「公明党」の記事については、「公明党」の概要を参照ください。

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