救荒書とは? わかりやすく解説

救荒書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 21:27 UTC 版)

宝暦の飢饉」の記事における「救荒書」の解説

宝暦の飢饉きっかけに、凶作時の食糧確保方法書かれた救荒書がいくつか刊行された。 『万世飢食松皮製法』 - 松皮餅作り方記した本。享保18年1733年5月大坂井上某が飢渇患いから書き置いたものを、寛保3年1743年)に江戸本船町の大蔵某が刊行した後、大坂漢学者杉浦益が天明4年1784年)に版行した。仙台藩江刺郡の大肝入記録といわれる飢渇巻』の中に万世飢食松皮製法」の記載がある。仙台藩の『御用定留によれば宝暦5年凶作受けて、藩の江戸買物御用達今中九兵衛松皮粮食の書物版行したので、500冊を国元送り領内の郡方に配布したとある。 『民間備荒録』 - 一関藩医者建部清庵飢饉の後に著した救荒書。『日本農書全集18、『日本経済叢書』八、『仙台叢書』の四、『日本経済大典一一、『仙台叢書一〇収録飢饉備えて植えておくべき植物食料蓄え方について書かれ上巻と、草木食べ方や解毒法中心に飢餓対す救済処置について書かれ下巻とで構成される。後に版を重ねて発行され、救荒書の原点位置占めることになる。寛政8年1796年刊行。 『備荒草木図』 - 建部清庵宝暦の飢饉の際に、村役人老農から聞いて書き集めた、糧として用いて益の多かった草木に関する書。食べられる野生植物精細な生写図によって判別できるようになっている。清庵と杉田玄白の子により天保4年1833年)に刊行。 『荒歳録』 - 江刺郡岩谷堂の大肝入遠藤志峯による、非常食について記した書。 『仙台飢饉巻』『御用定書』 - 仙台大町五丁目大内家記録と、磐井郡東山北方大肝入畑家文書。上胆沢新里村の卯左衛門宝暦5年9月2日に「存寄」をまとめた「粮」の用い方記されている。凶作の際に草木の根や食べてきたが、それらの毒にはそれぞれ除去法があり、それを知っていた者は助かりそうでない者は死んでいったとある。 このほか、仙台藩では代官の大肝入江戸から送られてきた「松皮粮用」という書物困窮する々に配布するように指示するなど、官から民へ食用として松皮食糧とするための製法知識が各にまで周知された。菊池勇夫は、このような非常時の食に関する民間知識まとめて肝入代官たち地域行政官によって共有知として地域広めようとする動きは、宝暦の飢饉きっかけとしてはじまったとしている。

※この「救荒書」の解説は、「宝暦の飢饉」の解説の一部です。
「救荒書」を含む「宝暦の飢饉」の記事については、「宝暦の飢饉」の概要を参照ください。

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