民間備荒録
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江戸時代の東北地方にはしばしば、冷害によって飢饉が起こり、多数の餓死者が出た。清庵はその惨状を眼にする。 ある日、友人の郷内勝清の家で、明の兪汝為の『荒政要覧』を見て、これをヒントに救荒書の編纂を思い立つ。宝暦5年(1755年)、『民間備荒録』上下2冊を発行した。上巻では、飢饉に備えて食用となる樹木を植え、食料を備蓄する方法を述べている。下巻では、具体的に草や木の葉を食べる方法、解毒法、応急手当法などを述べている。一関藩の奉行・代官を通じて、藩内の村々に配られたという。 印刷された救荒書としては早くに出たもので、何度か版を重ね、16年後の明和8年(1771年)には江戸で出版された。
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