民間信仰の開花
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 22:31 UTC 版)
「日本の文化における狐」の記事における「民間信仰の開花」の解説
このような状態はかなり後世まで続いたが、狐は大衆に憎まれる存在とはならなかった。江戸時代に入り商業が発達するにつれて、稲荷神は豊作と商売繁盛の神としてもてはやされるようになり、民間信仰の対象として伏見の狐の土偶を神棚に祭る風習が産まれた。 明治政府が不敬として狐の土偶の製造を禁じると、細々と生産されていた猫の土偶が大流行し定番商品(招き猫)となった。狐霊に白黒赤金銀があるように招き猫にも白黒赤金が存在するのはそのためである。 社の裏手に狐の巣穴があるような稲荷は多く見られることから、狐の巣穴を供養する風習が江戸時代から昭和にかけて全国各地に広がっていたことが判る。狐の巣穴に食べ物を供える習慣は穴施行、寒施行となって現在も残っている。またそのような由来を持つ狐塚(田の神の祭場)も数多くある。安倍晴明で有名な葛葉稲荷神社の裏手には石組みの行場が残っている。
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