諸経費の節減
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:12 UTC 版)
収入増を望めない一関藩が主に取り組んだ財政再建策は、諸経費節減であった。一関藩は俸禄制をとり、四ツ物成(四公六民)で年貢米その他の諸税を徴収した現米を、藩から家臣団に支給した。一関藩は宝永7年(1710年)から減俸を34回実施し、削減額も財政難を反映して、1年限りながら3分の2減が5回、半減が12回に上った。特に天保の大飢饉における財政難は深刻を極め、俸禄制すら維持できず、禄の高下を無視して成人1人あたり1日4合と限った米を人数分だけ支給する面扶持制を、天保3年から5年、天保7年から10年にかけて実施した。当然ながら、面扶持制においては家格の高い家臣ほど減給率が高くなるため不満が高まり、藩政批判を仙台藩や幕府に訴えた20名もの家臣が処罰された。
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