諸葛亮との因縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 14:48 UTC 版)
劉備は赤壁の戦いに勝利すると、荊州の南4郡の攻略に着手する。韓玄のいる長沙には、劉備の命令を受けた関羽が攻め込んでくる。魏延の同僚黄忠が関羽との戦いで韓玄に内通を疑われ、処刑されそうになると、魏延は民や兵士を扇動して韓玄を斬り、城を開けて劉備に降伏している。 魏延が劉備と対面すると、側にいた諸葛亮は、主君である韓玄を裏切った行為を咎め、「反骨の相(頭蓋骨が後部に出ていること。裏切りの象徴とされる)」があると言い、魏延を斬るよう劉備に進言するが、劉備の取り成しで許されている。この場面が後の因縁の伏線となっている(第53回)。 後の益州攻略戦で、魏延は勝手に抜け駆けをして危機に陥り、黄忠の援軍に救われている。黄忠は、軍紀を乱した件で魏延を処刑すべきであると劉備に進言するが、ここでも劉備により敵将を捕らえたことで帳消しとされている(第62回)。 諸葛亮の南征では、遠征軍の大将に任命され従軍し(第87回)、孟獲率いる南蛮軍との戦いで活躍している。烏戈国王兀突骨率いる藤甲軍との戦いでは、諸葛亮に半月で15回にも及ぶ偽りの敗走を命じられ、内心不服を覚えつつも忠実に命令を実行し、諸葛亮の計略を成功に導いている(第90回)。 北伐では蜀軍の主力として活躍し、街亭の戦いでは敗走する馬謖を助け、蜀軍の被害拡大を食い止めるために奮戦する(第95回)。また魏の王双を討ち取る(第98回)など、勇猛な将軍として描かれている。その一方で、諸葛亮の用兵を慎重すぎると批判したり、陳式と共に諸葛亮の命令を無視して危機に陥り、諸葛亮に詰問されると陳式と互いに讒言し合う(第100回)など、性格に問題のある人物としても描かれている。諸葛亮も魏延に反骨の相があり、いずれ禍の種になることを知りながら、魏との戦いでは彼の武勇が必要と見なして、やむなく用いているということにされている。葫蘆谷の戦いでは司馬懿を誘き寄せる任務を負う(第103回)。しかし、これは魏延に危険性を感じた諸葛亮が、司馬懿もろとも魏延を焼き殺そうとする計略であったため、雨のおかげで生還した魏延は諸葛亮を詰問している。しかし、諸葛亮は計略の責任者だった馬岱の手違いであったとして、魏延配下の一兵卒に落とすことで反感を逸らしている。 五丈原の戦いでは、病に倒れた諸葛亮が自分の寿命はあと少しで尽きると知ったため、延命の祈祷を始める。それを察した司馬懿は、祈祷を止めさせるために戦いを仕掛ける。魏延は祈祷のことを全く知らなかったため、魏軍が攻め込んできたことを諸葛亮に伝えようとして祈祷の場に踏み込み、うっかり祭壇を荒らしてしまう。このため祈祷は失敗することになる。祈祷に参加していた姜維は魏延を斬ろうとするが、諸葛亮は「これは天命なのだ」と言って彼を許し、魏延に魏軍の撃退を命じている(第103・104回)。
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