諸葛亮の死後と政争史とは? わかりやすく解説

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諸葛亮の死後と政争史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 03:56 UTC 版)

劉禅」の記事における「諸葛亮の死後と政争史」の解説

建興15年237年)に皇后の張氏(敬哀皇后)が没し延熙元年238年)にその妹を新たに皇后とした(単に張皇后呼ばれる)。 諸葛亮の死後、その遺表を遵守し荊州閥で北伐推進派の蔣琬録尚書事大将軍任じ延熙元年238年)には漢中幕府を開かせ成都の政は益州閥で北伐慎重派費禕一任した。蔣琬諸葛亮同様に独裁体制執り、後に漢水下って上庸侵攻する作戦立てたが、己の持病続発したために実行移せないでいた。 延熙4年241年)、向寵異民族討伐戦死する費禕南方内心燻っていた馬忠抱え込み蔣琬失脚画策同年10月には蔣琬否定的な衆論劉禅費禕姜維遣わし伝達させ、漢中で3者は代替と成る涼州侵攻策を作成延熙6年243年)に上奏裁可された。同年10月姜維涼州刺史(管轄武都陰平)に、蔣琬が涪に駐屯し左遷され両者代わり費禕実権を握るようになった独裁型の前任者とは逆で協調型の政治スタイルのため、危険に対しノーガードならざる得ず暗殺危険性張嶷から常々指摘された。 延熙7年244年)に曹爽夏侯玄率い魏軍漢中侵攻し魏延生前秦嶺山脈中に築いた数多陣地に拠った王平督戦撃退成功した。病が篤く成った蔣琬董允と同じ延熙9年246年)に没しその後任に就いたのは諸葛亮の遺表通り費禕であった蔣琬から費禕に至るまで、本人外地在って国家恩賞刑罰全て両者諮問してから実行された。北伐推進派の姜維出兵申出ても、管轄する北伐慎重派費禕大敗備え1万以下の兵しか与えなかった。延熙11年248年)に王平没する費禕後任漢中駐屯することと成った。 『魏略』では蔣琬死後から劉禅が自ら政治をみるようになったとあるが、大赦濫発するなど政治弛緩し宮中奢侈に流れたまた、董允の死がそれまで抑えられていた宦官黄皓台頭許してしまった。劉禅黄皓への信用高く、弟の劉永ですら黄皓のために宮中から遠ざけられ状況であった延熙12年249年)に正始政変から夏侯覇蜀漢亡命してきた。劉禅夏侯覇会見し、「あなたの父(夏侯淵)は戦陣の中で命を落としたのだ。私の父殺したのではないのだ」と言い自分の子供を指さし示して、「この子夏侯氏の甥にあたる」と言ったかくして手厚く爵位恩賞賜った夏侯覇直ぐに征北将軍から車騎将軍昇進し数年後から病気がちになり259年没した延熙14年251年)夏に費禕成都帰還するも、「都に宰相の位が見当たらぬ」と望気者の占断で冬には北の漢寿葭萌関)に駐屯2年後其処で正月宴席で魏の降将郭循によって刺殺された。その「窮している者に近づき利用し己の糧にする」本質から費禕諸将恨み買っており、先の占断宰相の死を予言するであった費禕の死を承け国政陳祗姜維の2頭体制成った陳祗宦官黄皓巧く利用して劉禅影響力与え続ける事で姜維北伐輔弼したのである陳祗輔弼の下で姜維は度々大規模な北伐遂行した段谷の戦い鄧艾大敗し国内で己の政治的地盤失った景耀元年258年)に陳祗没すると、後任謂うべき才を持つ者は存在せず北伐反対派である益州閥の諸葛瞻董厥らが宦官黄皓姜維への掣肘利用して政を執る様に成った。その一方で閻宇黄皓結託し黄皓姜維閻宇交代させよう画策した。諸葛瞻董厥は、姜維戦争好んで功績なく、国内疲弊理由姜維前線から召還し益州刺史とし、その軍事を奪うように劉禅上奏すべきと考えていたという。 景耀3年260年)には、関羽張飛といった建国功臣夏侯覇諡号濫発した。翌年には諸葛瞻が行都護衛将軍となり董厥と共に尚書事として朝政執ることとなった姜維腹心である廖化ですら諸葛瞻への参賀考慮した景耀5年262年)には姜維黄皓殺害密奏するも、董允存命時から黄皓傀儡となって久しい劉禅は、当の本人謝罪させる有様であった。これを承け姜維直ぐに自軍率いて雍州は沓中に避難兼ねて屯田するようになり、内外連携は粗不可となった

※この「諸葛亮の死後と政争史」の解説は、「劉禅」の解説の一部です。
「諸葛亮の死後と政争史」を含む「劉禅」の記事については、「劉禅」の概要を参照ください。

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