閻宇とは? わかりやすく解説

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閻宇Yan Yu

エンウ

(?~?)
右大将軍・巴東都督

字は文平南郡の人《馬忠伝》。

馬忠張表続いて庲降都督となり、長年渡って業績があった《馬忠伝》。

延煕十九年(二五六)、呉で孫綝実権を握ると、呂拠滕胤孫憲らが謀叛企てて誅殺された。呉の驃騎将軍朱績は、この混乱乗じて魏が攻めてくるのではないか恐れ白帝城駐留軍増員するよう蜀に要請した朱然伝》。翌年、そのため閻宇は右大将軍のまま巴東都督となり、羅憲副将として巴東駐屯することになる《霍峻伝》。

景耀五年(二六二)、宦官黄皓親しみ黄皓姜維罷免して閻宇を立てようとしたが、姜維の方でも警戒していたので果たせなかった《姜維伝》。諸葛瞻董厥らも、姜維軍事好んで国を疲弊させていることを理由に、彼から軍事奪って閻宇を後任とするよう上奏している《諸葛亮伝》。

魏軍が蜀に侵攻始めると、召し返され防御あたった霍峻伝》。

参照姜維 / 黄皓 / 朱績 / 諸葛瞻 / 孫憲 / 孫綝 / 張表 / 董厥 / 滕胤 / 馬忠 / 羅憲 / 呂拠 / 南郡 / 巴東郡 / 白帝県 / 庲降 / 右大将軍 / 巴東都督 / 驃騎将軍 / 庲降都督 / 領軍


閻宇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 14:20 UTC 版)

閻 宇(えん う、生没年不詳)は、中国三国時代蜀漢の武将。文平荊州南郡の人。


  1. ^ 『呉書』朱治朱然呂範朱桓伝には閻宇は右将軍とあり、大の文字は衍字の可能性がある。また漢晋春秋には閻宇が同時期に領軍となったと記されており、軍事上の最高責任者である大将軍であった可能性は低い。
  2. ^ なお史官だった常璩は、『三国志』の著者陳寿が諸葛瞻から恥辱を受けた恨み故に、諸葛瞻を悪く書いたとの蜀の長老の話を紹介しているが(『三国志』蜀書諸葛亮伝注)、これが事実かどうかは不明である。


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