葭萌関とは? わかりやすく解説

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葭萌関Jia meng Guan

カボウカン
カバウクワン

荊州劉備が、益州劉璋援軍として駐留していた場所である。建安十八年(二一三)、劉備寝返って益州攻撃したとき、霍峻が葭萌関を守った張魯楊帛送り込んで一緒に城を守ろうではないか」と持ちかけさせたが、霍峻は「拙者の首を取っても、城を手に入れることはできぬぞ」と拒絶した。また劉璋の手の扶禁・向存が一万人を率いて包囲したが、霍峻手勢わずか数百人ながら一年近く持ちこたえ、敵の油断を衝いて攻撃をかけて向存の首を斬り、葭萌関を守り通した


葭萌関

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/19 13:36 UTC 版)

葭萌関(かぼうかん、Jia meng Guan)は、中国にある地名。現在の四川省広元市昭化区に位置し、三国時代関所として有名である。名称の由来は、かつて存在した葭萌県[1]に所在したことから[2]

建安16年(211年)、益州攻略の戦役の際、劉璋から張魯討伐の依頼を受けた劉備は当初この地に駐留し、のち、劉備に託された配下の霍峻は寡兵で三年間死守した[3]

延熙16年(253年)、蜀漢費禕がこの地に駐屯している際、旧暦正月朔日(=1月1日。新暦では2月16日)の宴席にて、魏の降将である郭循(郭脩とも書かれる)に刺殺された[4]

脚注

  1. ^ 2013年に昭化区となる。
  2. ^ 三国志遺跡-葭萌関
  3. ^  三國志 蜀書二 先主傳 (中国語), 三國志/卷32#先主 劉備, ウィキソースより閲覧。 
  4. ^  三國志 蜀書十四 蔣琬費禕姜維傳 (中国語), 三國志/卷44#費禕, ウィキソースより閲覧。 


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