関索との出会いと別れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 17:07 UTC 版)
『新編全相説唱足花関索出身伝 前集』(『花関索伝』)では父の関羽にあうため放浪中の関索は彼女の噂を聞きつけて鮑家荘に訪れ、それではと鮑三娘に挑戦し、50合も打ち合わないうちに鮑三娘は馬から突き落とされ、初めて負けた事に加え、鮑三娘は関索があの関羽の息子であることを知ったので、家に招待して結婚を申し込み、関索も鮑三娘の武芸の腕に感心し、噂通りの美女であったので喜んで承諾し、結婚式を挙げた。のち関索とともに、劉備陣営に加わる。関索と鮑三娘は常に同じ戦場で戦うが、関索が南征に先鋒として従軍する事が決まり、鮑三娘は葭萌関を守る事になってしまう。この時、関索は未練が残り鮑三娘に悩みを打ち明けると「国の大事に何を言っているのですか。私は大丈夫。立派に任務を遂行してきて下さい」と言って説得したという。その後、関索は南征で戦死してしまうが、その知らせを受けた鮑三娘は涙を流すことなく、鎧を脱がずに葭萌関を守り通して死ぬという物語もあれば、そのまま関索の側室という設定の王桃と王悦姉妹と共に葭萌関を守って病没したという物語もある。 また創作であるという一方で、四川省広元市にある「鮑三娘墓」が実際に彼女の墓であると伝えられる。
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