一関遊水地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 08:12 UTC 版)
「北上特定地域総合開発計画」の記事における「一関遊水地」の解説
一関遊水地は、同計画において岩手県内で残った最後の事業である。1938年より構想が持ち上がり、1949年には「舞川遊水地」として計画が具現化した。そして1973年(昭和48年)の「北上川水系工事実施基本計画」で第一遊水地・第二遊水地・第三遊水地からなる巨大な遊水地計画として正式な事業となった。総面積は1,450ヘクタールでこれは渡良瀬遊水地に次ぐ日本最大級の遊水地計画であり、北はJR平泉駅から南は狐禅寺の狭窄地入口、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}西はJR一ノ関駅東部まで[要出典]の広範囲にわたる。現在[いつ?]は小堤の建設が進められており、工事の進捗率は47パーセントである。完成すれば同計画における岩手県内の治水事業は全て完成する。 これに関連して、支川衣川等でも築堤工事が行われているが、衣川に架かる国道4号旧衣川橋(現在[いつ?]は平泉バイパスの暫定共用により撤去)からやや上流左岸側で接待館遺跡が発見され、この保存のために築堤のルート変更が行われることとされ、築堤用地として当該遺跡を取得している国土交通省と今後保存を行う岩手県とで協議が行われている。なお、当該事業による河道の変更は、北上川本川における柳之御所遺跡発見・保存決定に伴う平泉バイパス及び河道のルート変更に続くものである。 この遊水地の上に架けられている第一北上川橋梁は3868mと日本一長い鉄道橋梁だが、トラス橋部分が1kmに満たないため、一見すると長い橋梁には見えない(トラス橋としては同じ東北新幹線の第二北上川橋梁の方が長い)。
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