北上川五大ダム計画とは? わかりやすく解説

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北上川五大ダム計画(1938年~)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 08:12 UTC 版)

北上特定地域総合開発計画」の記事における「北上川五大ダム計画(1938年~)」の解説

北上川下流河川改修が進む一方で岩手県内北上川流域における洪水量を削減するための計画進められた。この当時秋田県出身東京帝国大学教授内務省土木試験所所長の職に就いていた物部長穂日本におけるその後河川開発重大な影響あたえた論文1926年大正15年)に発表した。それは個々河川単独改修するではなく水系基準として本流支流区別なく上流から下流まで一貫して開発し水系一貫開発)、それまで多種多様な事業者別個に実施していた治水・利水事業統合させて総合的かつ効率的に行うという趣旨のものであった。これは河水統制計画案呼ばれ、その根幹事業として天然湖沼および大貯水池有するダムの建設洪水調節としては有利であると主張したここにおいて多目的ダムという概念登場するが、物部こうした主張パナマ運河建設日本人唯一参加し大河津分水荒川放水路建設改修携わった内務技監青山士あおやま・あきら)によって採用され1937年昭和12年)に予算付いて正式な国家プロジェクトとして利根川など全国64河川調査された。北上川もその中に入っており調査結果1938年昭和13年)に「北上川上流改修計画」としてまとめられた。 計画の中で、今まで北上川による水害で最も洪水被害が大きい一関市狐禅寺(こぜんじ)が計画高水流量基準点定められ毎秒7,700トン洪水を2,100トンカットし毎秒5,600トンとする治水計画決定した。このカット分を主にダム遊水池によって賄うこととなり、一関市遊水地(後の一関遊水地)を計画、さらに北上川本流始め岩手県内主な支流である雫石川しずくいしがわ)・猿ヶ石川さるがいしがわ)・和賀川(わがかわ)・胆沢川いさわがわ)の五河川治水ダム建設する計画立てた。これが後年北上特定地域総合開発計画根幹事業となる、いわゆる「北上川五大ダム計画」の出発点である。その第一弾として猿ヶ石川へのダム計画進められ1941年昭和16年7月国直ダムとしては日本最初の例となった石堰堤(さるがいしえんてい)、後の田瀬ダムが高さ76.5メートル重力式コンクリートダムとして着工された。 ところが着工したこの年太平洋戦争始まり次第戦況日本著しく不利となっていった。物資欠乏如何に補充するかが喫緊問題であった政府1944年昭和19年8月国内にある全ての人的物的資産戦争遂行のために総動員するための法令として「決戦非常措置要領」を発令したこれに伴い田瀬ダム建設資材極端に欠乏して施工継続が困難となり、「要領発令同時にダム事業中止余儀無くされ「五大ダム計画」も一旦頓挫する形になった

※この「北上川五大ダム計画(1938年~)」の解説は、「北上特定地域総合開発計画」の解説の一部です。
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