北上川改修事業(1880年~1934年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 08:12 UTC 版)
「北上特定地域総合開発計画」の記事における「北上川改修事業(1880年~1934年)」の解説
北上川は明治時代に入って本格的な河川改修工事が手掛けられた。当時河川行政を司っていた内務省は全国の主要な河川を対象に河川改修を行っていたが、北上川については1880年(明治13年)から内務省直轄による河川改修がスタートした。当初は堤防の建設や川の流路を修正する工事が行われており、1902年(明治35年)まで実施された。その後北上川の河口を付け替える計画が立ち、1911年(明治44年)から「北上川改修事業」として施工が開始された。これは従来石巻市で仙台湾に注いでいた北上川を追波湾に転流させるというものであり、追波川を大幅に改修して河道を広げ北上川本流とし、旧流路は「旧北上川」とし1922年(大正11年)には分流部に鴇波洗堰・脇谷洗堰を設けて水量を調節し、併せて水運の便を図るため脇谷閘門を設置した。これにより上流部から流れ来る洪水は追波湾へ流して一関市より上流の洪水を防ぎ、蔵王連峰や栗駒山系より流れ来る迫川(はさまがわ)・江合川(えあいがわ)の洪水は旧北上川へ流すことで石巻市など下流部の洪水を防ごうとした。 この他迫川については蛇行を修正して直線化、江合川については古川市(現・大崎市)で放水路を建設し鳴瀬川へ洪水の一部を導く「新江合川」を開削。こうした河道改修によって洪水調節を行おうとした。これら一連の事業は1934年(昭和9年)に完成し、北上川下流部における治水は一応終了した。
※この「北上川改修事業(1880年~1934年)」の解説は、「北上特定地域総合開発計画」の解説の一部です。
「北上川改修事業(1880年~1934年)」を含む「北上特定地域総合開発計画」の記事については、「北上特定地域総合開発計画」の概要を参照ください。
- 北上川改修事業のページへのリンク