馬関会所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
同日、長府藩が萩へ使者を送り、五卿と諸隊の動向を報せ、長州藩政府へ事後策の指示を依頼した。馬関は長府藩領であるが、長州藩は複数の会所を設置し長州藩の出張所とし、馬関総奉行を置いていた。ようは馬関の会所は長州藩の飛び地の様な存在で、攘夷実行に備えて会所内には多数の武器・金品・糧秣が保管しされていた。諸隊が馬関の会所の武器を奪うことを恐れた萩藩政府は、会所の武器を回収し萩に回送するよう命じた。しかし馬関総奉行である根来上総は、征長軍が眼前にある事もあり、危急の事態の際の便を考慮して萩には送らず、武器は長府藩内へ移した。この処置は、諸隊は長府・清末の両支藩を頼りにしており、長州藩の領分である馬関の会所は襲撃できても長府藩を攻撃することは出来ないだろうという考えからである。また長府藩がいくら諸隊に同情的であっても、宗藩である長州本藩から預けられた武器を諸隊に渡すことは出来ないと考えたからであった。(ただし実際に諸隊が決起した際、長府藩家老が独断で諸隊へ、会所の物であるかは不明だが多くの金品を送っている)
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