馬門石石切場跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 07:52 UTC 版)
宇土半島の中央部に東西に延びる山塊があり、その北側の網津川流域の谷間で東西1.1㎞、南北1.5㎞の範囲が馬門石石切場跡である。その中に3か所の石切遺構が確認されており、それぞれ「馬門石切丁場跡」「野添石切丁場跡」「清辻石切丁場跡」とよばれる。いずれも馬門石の石切場であるが、そのうち最も北側の海寄りで規模が大きいのが馬門石切丁場跡で、阿蘇ピンク石が最も広く分布している。前述したように古墳時代では阿蘇ピンク石は近畿のみで使用されたことから、馬門石切丁場跡はヤマト王権の特別な石切丁場で、その他の石切丁場から産出したものが周辺で使用されたと考えられる。馬門石切丁場跡の中央にはドイヤマと呼ばれる小丘陵があり、頂部には赤石神社がある。現在確認される石切遺構は江戸時代以降の矢穴技法によるものであるが、古墳時代では巨大な転石を用いていたと考えられる。 平成14年からの発掘調査により、ピット群などから加工時に生じたと思われる石屑と一緒に5世紀中頃から7世紀前半の土師器や須恵器の破片が出土した。その他、中世の青磁や白磁、近世の陶磁器類が出土しており、馬門石が使用された時期が明らかになった。古墳時代の土器と共伴する石屑は原石を加工(剥離)する際に生じるものと考えられ、石切丁場で石棺の粗取りや粗整形が行われたと考えられる。 石切場跡付近の牧神社(馬門石製鳥居)
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