毛利親直
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時代 | 江戸時代(幕末) |
生誕 | 嘉永5年5月28日(1852年7月15日)[1] |
死没 | 明治10年(1877年)5月18日 |
改名 | 上野五郎 |
別名 | 通称:藤四郎、幾之進、変名:土肥又一 |
幕府 | 江戸幕府→明治政府 |
藩 | 長州藩 |
父母 | 父:毛利広悌、養父:毛利元一 |
兄弟 | 佐世忠槌、粟屋資義、熊谷雅槌、毛利親直 |
毛利 親直(もうり ちかなお)は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の14代当主。
父は毛利広悌(ひろやす)。養父は毛利元一。留学中の変名は土肥又一。吉敷毛利家を離籍後は上野五郎と名乗る。
生涯
嘉永5年(1852年)、一門阿川毛利熙徳の弟・毛利広悌の四男として生まれる。文久3年(1863年)、一門吉敷毛利家毛利元潔(元一)の養子となる。藩主・毛利敬親より偏諱を受けて親直と名乗る。
慶応2年(1866年)、幕府による第二次長州征討を受けた際に、遊撃隊総督となり、芸州口で幕軍と戦い勝利を収める。慶応3年(1867年)、藩命により福原芳山、河瀬安四郎と供に兵学を学ぶためイギリスに留学する。
明治3年(1870年)、養父元一の隠居により留学先で家督を相続する。明治5年(1872年)、帰国。明治7年(1874年)、病を理由に吉敷毛利家から離籍し、上野五郎と改名(吉敷毛利家の家督は元一が再襲し、元一は改めて重輔を養子に迎えている)。
明治10年(1877年)、西南戦争に幕僚参謀として従軍したが、5月18日に熊本で戦死した。享年26。
脚注
- ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.81。
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