毛利親直とは? わかりやすく解説

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毛利親直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 03:01 UTC 版)

 
毛利 親直
時代 江戸時代幕末
生誕 嘉永5年5月28日1852年7月15日[1]
死没 明治10年(1877年5月18日
改名 上野五郎
別名 通称:藤四郎、幾之進、変名:土肥又一
幕府 江戸幕府→明治政府
長州藩
父母 父:毛利広悌、養父:毛利元一
兄弟 佐世忠槌、粟屋資義、熊谷雅槌、毛利親直
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毛利 親直(もうり ちかなお)は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の14代当主。

父は毛利広悌(ひろやす)。養父は毛利元一。留学中の変名は土肥又一。吉敷毛利家を離籍後は上野五郎と名乗る。

生涯

嘉永5年(1852年)、一門阿川毛利熙徳の弟・毛利広悌の四男として生まれる。文久3年(1863年)、一門吉敷毛利家毛利元潔(元一)の養子となる。藩主・毛利敬親より偏諱を受けて親直と名乗る。

慶応2年(1866年)、幕府による第二次長州征討を受けた際に、遊撃隊総督となり、芸州口で幕軍と戦い勝利を収める。慶応3年(1867年)、藩命により福原芳山河瀬安四郎と供に兵学を学ぶためイギリスに留学する。

明治3年(1870年)、養父元一の隠居により留学先で家督を相続する。明治5年(1872年)、帰国。明治7年(1874年)、病を理由に吉敷毛利家から離籍し、上野五郎と改名(吉敷毛利家の家督は元一が再襲し、元一は改めて重輔を養子に迎えている)。

明治10年(1877年)、西南戦争に幕僚参謀として従軍したが、5月18日に熊本で戦死した。享年26。

脚注

  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.81。



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