毛利元直 (吉敷毛利家)とは? わかりやすく解説

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毛利元直 (吉敷毛利家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/15 01:50 UTC 版)

毛利 元直(もうり もとなお、享保元年11月23日1717年1月5日[1] - 宝暦3年4月19日1753年5月21日))は、長州藩一門家老である吉敷毛利家の6代当主。

父は毛利広包。正室は阿川毛利広規の娘。子は毛利就将、毛利直道。通称は久之允、市正。

生涯

享保元年(1716年)、一門家老・毛利広包の子として生まれる。藩主・毛利吉元偏諱を受け、元直と名乗る。元文2年(1737年)、広包の死去により家督を相続し、一門家老・吉敷領主となる。元文5年(1740年)、祖父の就直の代より行っていた周防国平田の開作(干拓事業)により647石が知行に加増される。

宝暦3年(1753年)4月19日死去。享年38。家督は嫡男の就将が相続した。

毛利元直に仕えた中原喜兵衛介之は、詩人・中原中也の先祖である。

脚注

  1. ^ 『近世防長諸家系図綜覧』防長新聞社、1966年、p.79。

参考文献

  • 石川卓美著「防長歴史用語辞典」



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