なかはら【中原】
中原家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/03 01:19 UTC 版)
中原家は代々吉敷毛利家の家臣だった。「中原五族」の一つとして「新家中原家」とよばれた。「新家中原家」は「本宗中原家」の3代目で分かれた「田中中原家」からさらに5代目で分かれた中原喜兵衛介之を祖とする。初代中原喜兵衛介之は「田中中原家」4代目中原太郎兵衛の次男として生まれた。兄孫右衛門が「田中中原家」を嗣いで間もなく初代となって「新家中原家」を設け、大慈院殿(吉敷毛利家の毛利元直)に仕えて礼式をつかさどった。喜兵衛は宝暦10年(1760年)小笠原流の免許皆伝をうけた。以後「新家中原家」は明治維新まで礼式の家だった。 父・周助(吉敷毛利家家臣粟屋与一左衛門の次男、中原家の養子) 母・小藤(中村仲助の次女) 弟・政熊、清四郎、資一(吉敷毛利家家臣中村源六の養子となる) 妻・スエ(吉敷毛利家家臣小野勝治の次女、旧毛利萩本藩士で税務署長・引頭祐一の後妻) 長女・曻 次女・フク(軍医野村謙助に嫁す) 長男・大助
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