中原姓大友氏流日田氏から郡老支配
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「大蔵氏 (豊後国)」の記事における「中原姓大友氏流日田氏から郡老支配」の解説
その後、中原姓大友氏から永世(親満)を養子に迎え、16代大蔵永包の姉を妻として再興を果たす。大友氏流日田氏の始まりである。日田氏は大友氏の影響を受けるも大友氏本流の支配下にはなく室町幕府近侍の御家人という立場もあり独自性を保持したが、1548年(天文7年)にその大友氏流日田氏も断絶した。以降は、本家の大友義鑑が選出した旧豊後大蔵氏一族の郡老8名(財津氏、豊後坂本氏、豊後石松氏、高瀬氏、豊後羽野氏、豊後堤氏、豊後佐藤氏、世戸口氏)が奉行職として政治を執り行うことになった。戦国末期、大友日田氏最後の当主日田親将の子日田親永は大友義統に仕えたが、文禄・慶長の役に従軍し朝鮮にて戦死した。
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