中原囲いの誕生と変遷とは? わかりやすく解説

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中原囲いの誕生と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 06:53 UTC 版)

中原囲い」の記事における「中原囲いの誕生と変遷」の解説

中原囲いは、元は中原流相掛かりでの囲いであった。元の囲い自体は、初形から銀がただ上がっただけの簡素な囲いだったが、それを一路ずらしたのであるその1号局は1992年4月行われた中原青野戦とも言われているが、中原自身1990年(平成2年)にはもう使用していたと語っている。 しかしこの▲5九金・▲6九玉の構え自体は、旧式相掛かり見られたもので、中原師匠(高柳敏夫)の師匠である金易二郎からの手ほどきを受けている。これを中原現代応用したわけである。この頃先手での囲いであったちなみにこの囲いは、江戸時代相掛かり戦型解説した棋書にも見受けられる。 しかし次第後手がこれを指すようになった。現在では横歩取り8五飛戦法組み合わせて用いられることが殆どのため、専ら後手番で組まれる囲いとなった。△2二銀・△3二金・△4一玉・△5一金・△6二銀の形を取る。見た目貧弱そうに見えるが、陣形低く左右どちらか攻められても玉の逃げ道が広いという特徴がある。中原によれば中住まいより弾力性は劣るが、一段金であるため飛車打ち込み強く桂馬攻めにも強い。また、単純・簡単なであったから真似されやすく広く流行したではないかとしている。 また、近年では横歩取り先手番においても、玉の堅さ重視し中原囲いに組む手順研究されており、相振り飛車にて、左右反転させた右中原囲い稀に使われる

※この「中原囲いの誕生と変遷」の解説は、「中原囲い」の解説の一部です。
「中原囲いの誕生と変遷」を含む「中原囲い」の記事については、「中原囲い」の概要を参照ください。

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