京都での出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 08:08 UTC 版)
落第したことで中也が山口中学にいたくないという意思を示し、謙助も世間体が悪いということで転校させることになった。1923年4月、京都の立命館中学校3年に編入、中也は一人で下宿生活を送ることになった。秋、高橋新吉『ダダイスト新吉の詩』を読んで衝撃を受け、ダダイスムに傾倒、詩作を始める。3歳年上の女優・長谷川泰子と知り合い、翌年から同棲する。泰子はマキノ・プロダクションの大部屋女優として月給をもらっていたが、解雇されてからは中也の居候となってしまう。帰省した中也が痩せているのを案じた中原家は仕送りの額を増やしている。 1924年、7月から11月まで京都に滞在した6歳年上の詩人、富永太郎と親交を結ぶ。富永太郎は連日中原の下宿を訪ねて語り合った。富永太郎が頼ってきたのは京都帝国大学文学部国文科在学中で立命館中学の非常勤講師を務めていた冨倉徳次郎だった。作文の時間、詩を書いてきた中也は冨倉の家に呼ばれるようになり、やがて大学生グループと展覧会を見に行ったり酒を飲んだりするようになる。中也は「ダダさん」の愛称で呼ばれた。12月初旬、富永太郎は東京に戻る。喀血したことを医師に診断してもらうためである。
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