広橋国光とは? わかりやすく解説

広橋国光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 14:13 UTC 版)

 
広橋国光
時代 戦国時代
生誕 大永6年5月19日1526年6月28日
死没 永禄11年11月12日1568年11月30日
改名 国光→尊寂(法名)
諡号 後引接院
官位 正二位権大納言、贈内大臣
主君 後奈良天皇正親町天皇
氏族 広橋家
父母 父:広橋兼秀、母:勧修寺政顕の娘
兄弟 国光庭田重保室、保子国子
高倉永家の娘、烏丸光康の娘
輝資兼勝日禎
テンプレートを表示

広橋 国光(ひろはし くにみつ)は、戦国時代公家。号は後引接院。法名は尊寂。官位は正二位権大納言正親町天皇に仕える。

系譜

関連項目

先代
広橋兼秀
広橋家当主
第13代
次代
広橋兼勝




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「広橋国光」の関連用語

広橋国光のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



広橋国光のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの広橋国光 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS