内藤興盛とは? わかりやすく解説

内藤興盛(ないとう おきもり) ????~1554

下野守
◇父:内藤弘春 子:内藤隆時、隆春
 周防・大内氏重臣として長門守護代を務める。当主義興の代から仕え家中にて大きな力を持つ。同じ重臣陶隆房当主義隆に謀反した際には、これに与した積極的に動くことはしなかった。

内藤興盛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/05 05:01 UTC 版)

内藤 興盛(ないとう おきもり)は、戦国時代武将守護大名大内氏の重臣。大内義興義隆の2代に仕え、約半世紀にわたり長門国守護代、評定衆など重職を占めた。


注釈

  1. ^ 死没年月日を天文22年12月4日、享年63とする文献もある[1]
  2. ^ 林泉軒。母方の実家である備後山内氏の猶子として仕えた。長門寺山城を居城とする武士であるが一方で豊富な財産を持つ有徳人として、永禄末年頃小早川隆景に兵糧500俵を用立てしている。[4]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 今井尭ほか編 1984, p. 343.
  2. ^ a b c d e 今井尭ほか編 1984, p. 344.
  3. ^ 閥閲録』巻111「山内長五郎」
  4. ^ 菊池浩幸「戦国大名毛利氏と兵糧―戦国大名領国の財政構造の特質―」『一橋論叢』第123巻6号、2000年。 /所収:村井 2015


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内藤興盛(ないとう おきもり)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 18:23 UTC 版)

毛利元就 誓いの三矢」の記事における「内藤興盛(ないとう おきもり)」の解説

大内家臣。毛利家尼子方から大内傘下組み入れようとする。

※この「内藤興盛(ないとう おきもり)」の解説は、「毛利元就 誓いの三矢」の解説の一部です。
「内藤興盛(ないとう おきもり)」を含む「毛利元就 誓いの三矢」の記事については、「毛利元就 誓いの三矢」の概要を参照ください。

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