山県元照
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 05:53 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 筑前守[1] |
主君 | 毛利幸松丸→元就 |
氏族 | 清和源氏頼政流安芸山県氏[1] |
父母 | 父:山県筑前守[1] |
子 | 就照[1]、元政[1] |
山県 元照(やまがた もとてる、旧字体:山縣 元照)は、戦国時代の武将。毛利氏家臣。
生涯
安芸国山県郡壬生[注釈 1]に居住した山県筑前守の子として生まれる[1]。
大永2年(1522年)に毛利元就が安芸国山県郡に侵攻し、山県少輔五郎や山県玄蕃允らが籠城する壬生城を攻撃した[2]。この時、元就は敵方の一族を分断して降伏を早める策を取り、壬生城の城主一族であった元照に対して毛利氏の被官に取り立てた上で本領を安堵し、新領も加増することを約束して毛利方に味方するように説得した[3]。説得を受け入れた元照が毛利軍に味方し、元就が壬生城に焼き討ちを仕掛けたことで、毛利軍は8月16日に大勝した[2][3]。なお、この時の壬生城攻めで三戸元久が一番首の武功を挙げたため、8月18日に元就が感状を与えている[2]。
元就が毛利軍の討ち取った山県軍の首級4つを陶興房のもとに送って戦勝を報告すると、大内義興は同年8月20日に元就に書状を送って壬生城攻めにおける功を称賛し、ますます同方面の経略に尽力するよう伝えている[2][4]。
しかし、元照の離反の際に元就が約束した内容が反故にされるという雑説が流れたことで、元照は約束の履行を元就に訴えた[3][5]。元就は同年9月8日に元照に宛てて書状[注釈 2]を送り、「元照が所領について重ねて確認を行ったことについて非常に驚いたが、元照の訴えも尤もであるため神の名に懸けて約束は守る。不審なことがあればいつでも元就が直接対面して話を聞くので安心するように」と伝えている[3][7]。
同年9月23日、毛利氏当主の毛利幸松丸は壬生城攻めにおける元照の功を賞して約束通り被官契約を結び、従来の所領の安堵に加えて、漆原名を与えて諸役を免じている[2][3][8][9]。これ以降、毛利氏は壬生の地を領有することとなった[2]。
大永3年(1523年)7月15日に毛利幸松丸が死去し、同年8月10日に毛利元就が毛利氏の家督を相続すると[10]、元照は元就に仕えた。
没年は不明であるが、享禄4年(1531年)3月13日に元照の嫡男である山県就照が所領を相続し[11]、それ以後に元照の活動が見られないことから、この頃に隠居または死去している。
逸話
- 同時期に元照と同じく「山県筑前守」を名乗った山県筑前守家高という人物が存在しており、大永6年(1526年)12月13日に安芸国佐西郡宮守の内の「しいろ」という地を廿日市の洞雲寺に寄進している[12][13]。山県家高の寄進地が山県郡とは離れていることから、同じ官途名を名乗った別人と思われる。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f 萩藩諸家系譜 1983, p. 159.
- ^ a b c d e f 毛利元就卿伝 1984, p. 68.
- ^ a b c d e 河合正治 2014, p. 121.
- ^ 『毛利家文書』第209号、大永2年(1522年)比定8月20日付け、毛利少輔次郎(元就)殿宛て、(大内)義興書状。
- ^ 『閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」第2号、大永2年(1522年)比定5月7日付け、筑前守(山県元照)殿宛て、(毛利)元就書状。
- ^ 『閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」。
- ^ 『閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」第3号、大永2年(1522年)比定9月8日付け、伝・筑前守(山県元照)宛て、(毛利)元就書状。
- ^ 松岡久人 1984, p. 38.
- ^ 『閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」第1号、大永2年(1522年)比定9月13日付け、山縣筑前守(元照)殿宛て、(毛利)幸松丸書状。
- ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 73.
- ^ 『閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」第4号、享禄4年(1531年)3月13日付け、山縣内藏助(就照)殿宛て、(毛利)元就書状。
- ^ 広島県史 古代中世資料編5 1980, p. 396.
- ^ 『広島県史』所収「辛未紀行 洞雲寺證文制札等写」第3号、大永6年(1526年)12月13日付け、洞雲寺當住宗春長老様宛て、山縣筑前守家高寄進状。
参考文献
- 東京帝国大学文学部史料編纂所 編『大日本古文書 家わけ第8-1 毛利家文書之一』東京帝国大学、1920年11月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 広島県 編『広島県史 古代中世資料編5』広島県、1980年3月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:
84027305。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 藤木久志 編『毛利氏の研究』吉川弘文館〈戦国大名論集14〉、1984年1月。
国立国会図書館デジタルコレクション
- 松岡久人「戦国期大内・毛利両氏の知行制の進展」藤木久志編『戦国大名論集14 毛利氏の研究』吉川弘文館、1984年1月、21-52頁。初出は『史学研究』第82号、1961年10月。
- 三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修、野村晋域著『毛利元就卿伝』マツノ書店、1984年11月。
- 河合正治『安芸毛利一族』吉川弘文館〈読みなおす日本史〉、2014年11月。 ISBN 978-4-642-06582-5。原書は1984年11月に新人物往来社から出版された。
- 山口県文書館編『萩藩閥閲録』巻129「山縣惣兵衛」。
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