山県就次とは? わかりやすく解説

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山県就次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/04 08:39 UTC 版)

 
山県就次
時代 江戸時代前期
生誕 慶長元年(1596年
死没 明暦2年5月17日1656年7月9日
改名 山県久次→山県就次
別名 通称:喜三郎、宇兵衛、仁右衛門尉、太郎兵衛
主君 毛利秀就毛利綱広
長州藩
氏族 安芸山県氏
父母 父:山県勝久、母:おあや
就重、貴満

山県 就次(やまがた なりつぐ)は、江戸時代前期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。

生涯

慶長元年(1596年)、山県勝久の嫡男として生まれた。勝久の死後にその後を継ぎ、毛利秀就綱広の二代に仕える。

元和6年(1620年10月9日、秀就から「就」の偏諱を与えられて名を就次と改め、同時に「仁右衛門尉」の官途名を与えられた。また、寛永5年(1628年5月5日には「太郎兵衛尉」の官途名を与えられた。

明暦2年(1656年5月17日に死去。享年61。嫡男・就重が後を継いだ。

出典




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