国司元相
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国司 元相(くにし もとすけ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。毛利氏の家臣で、五奉行の一人。
注釈
- ^ a b c 後に作成された国司氏の系図類では元相を明応元年(1492年)生まれの享年100としているが、山口県文書館所蔵文書の「贈村山家返章」に収められている元相の書状[2][3]や、日高山神社の棟札において自らと妻の生年の干支を「乙亥」と記しているため、これに従うと永正12年(1515年)生まれとなる。同様に日高山神社の棟札で嫡男の元武の生年の干支は「戊戌」と記されており、天文7年(1538年)生まれとなる。
- ^ 現在の広島県安芸高田市吉田町国司。
- ^ この起請文において諱も記している36人の重臣は署名順に、福原貞俊、志道元保、坂広昌(元貞)、門田元久、秋広就正、和智元俊、福原就房、桂元忠、桂就延、兼重元宣、渡辺長、赤川就秀、国司元相、粟屋元真、粟屋元親、粟屋元秀、赤川元秀、飯田元泰、粟屋元宗、井上元在(元光)、赤川元保、光永元方、長屋千太郎、福原元正、志道元親、桂元親、坂保良(元祐)、志道元信、志道通良(口羽通良)、桂元澄、敷名元範、南方元次、内藤元種、秋山元継、三田元親、井原元造。
出典
国司元相(くにし もとすけ)
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