井原元造とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 井原元造の意味・解説 

井原元造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/17 09:03 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
井原元造
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:次郎
官位 中務少輔
主君 毛利元就
氏族 高氏庶流井原氏
父母 父:井原元師、母:竹姫毛利弘元の娘)
兄弟 元造、六郎五郎、樋爪兵部少輔、女(天野隆重正室)
元良、女(渡辺元室)、女(井上与左衛門室)

井原 元造(いはら もととき)は、戦国時代武将毛利氏家臣。父は井原元師。母は毛利弘元の娘であるため、毛利元就の甥にあたる。

出自

井原氏は、高師直の弟・師久が安芸国高田郡井原村[注釈 1]に住したことから、在名に因んで井原氏を称した。父・井原元師の代に毛利弘元の娘を娶って毛利氏との関係を深め、後に毛利氏に帰属した。また、井原氏は安芸内藤氏秋山氏三田氏と共に「中郡衆」と称される。

生涯

毛利氏家臣の井原元師の子として生まれ、毛利元就に仕える。

永正8年(1511年10月30日、毛利氏へ忠節を誓い、京関東御役の際に段銭を納めることを誓約する。

元就による安芸井上氏粛清の直後の天文19年(1550年7月20日付で、毛利氏家臣団が元就の上意に従う旨を誓約した起請文に元造も36番目に署名している。

天文21年(1552年)、備後国へ出陣して戦功を挙げ、元就・隆元父子に賞される。

弘治元年(1555年)から弘治3年(1557年)にかけて行われた防長経略では元就らに従軍せず、石見井原城[注釈 2]の在番や、吉田郡山城に集められた人質の番を務めた。

没年は不明。嫡男の元良が後を継いだ。

脚注

注釈

  1. ^ 現在の広島県広島市安佐北区白木町大字井原。
  2. ^ 石見国邑智郡に存在した小笠原長雄攻撃の為に築城された。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「井原元造」の関連用語

井原元造のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



井原元造のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの井原元造 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS