井上就在とは? わかりやすく解説

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井上就在

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 03:37 UTC 版)

 
井上 就在
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 天文23年6月13日1554年7月12日
別名 通称:五郎三郎
官位 左馬助(官途名
主君 毛利興元幸松丸元就
氏族 清和源氏頼季流安芸井上氏
父母 父:井上光貞
元満
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井上 就在(いのうえ なりあり)は、戦国時代武将安芸国高田郡吉田[注釈 1]を本拠とする国人である毛利氏家臣

生涯

清和源氏の流れを汲む信濃源氏井上氏の支流である安芸井上氏19代当主である井上勝光の六男・井上光貞の子として生まれる。

大永3年(1523年7月15日に毛利氏当主の毛利幸松丸が死去した後、同年7月25日毛利元就に家督相続を要請した15名の宿老の1人として就在も名を連ねており、7番目に「井上五郎三郎就在」と署名している[注釈 2][1][2]

また、享禄5年(1532年7月13日の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では11番目に「井上左馬助就在」と署名している[注釈 3][3]

元就が家督を継ぐ以前から、元就の「就」の字を名前に用いているため、既に元就と親しい関係にあったと考えられ、天文19年(1550年)に井上元兼をはじめとした安芸井上氏の一族30余名が元就によって粛清された際にも就在は粛清を免れた。その上、同年12月21日には嫡男の元満毛利隆元から安芸国安芸郡のうちの国末名を給地として与えられている[4][5]

天文23年(1554年6月13日に死去。子の元満が跡を継いだ。

子孫には明治元勲である井上馨がいる[5]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b 『毛利家文書』第248号、大永3年(1523年)比定7月25日付け、福原広俊外十四名連署状。
  2. ^ 毛利元就卿伝 1984, pp. 71–73.
  3. ^ a b 『毛利家文書』第396号、享禄5年(1532年)7月13日付け、福原広俊以下家臣連署起請文。
  4. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第6号、天文19年(1550年)12月21日付け、井上五郎三郎(元満)殿宛て、(毛利)隆元宛行状。
  5. ^ a b 世外井上公伝 第1巻 1968, p. 6.

参考文献




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