井上就貞 (八兵衛)とは? わかりやすく解説

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井上就貞 (八兵衛)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 15:31 UTC 版)

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井上就貞
時代 江戸時代
生誕 寛永14年(1637年
死没 寛文8年9月22日1668年10月27日
改名 井上長吉(幼名)→井上就貞
別名 通称:八兵衛尉
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 清和源氏頼季安芸井上氏
父母 父:井上就勝
道経

井上 就貞(いのうえ なりさだ)は、江戸時代初期の武士毛利氏の家臣で長州藩士。父は井上就勝。知行は200石。

生涯

寛永14年(1637年)、長州藩士・井上就勝の子として生まれ、毛利秀就綱広に二代に仕える。

正保4年(1647年)に秀就から「八兵衛尉」の官途名と「就」の偏諱を与えられ、名を「就貞」とした。

寛文8年(1668年9月22日に死去。享年32。子の道経が後を継いだ。

参考文献




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