国司就連とは? わかりやすく解説

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国司就連

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/12 16:51 UTC 版)

 
国司就連
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
別名 通称:助三郎
主君 毛利元就
氏族 高階姓高氏庶流国司氏
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国司 就連(くにし なりつら)は、戦国時代武将毛利氏の家臣。

生涯

詳しい系譜や生年は不明だが毛利氏家臣の国司氏に生まれ、毛利元就に仕える。

享禄5年(1532年7月13日付の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では、21番目に「國司助三郎就連」と署名している[注釈 1]

天文9年(1540年)に始まる吉田郡山城の戦いにも参加し、同年9月12日の堀縄手における尼子軍との合戦注文の筆頭に「國司助三郎」と記されている[注釈 2][2]。また、10月11日の青山における合戦で首1つを得る武功を挙げ[3]、天文10年(1541年1月13日に宮崎長尾の尼子軍を攻撃した際にも首1つを挙げている[4]

没年は不明。

脚注

注釈

  1. ^ 『毛利家文書』第396号、享禄5年7月13日付 福原広俊以下家臣連署起請文。この時連署状に署名した32名は、署名順に福原広俊志道広良桂元澄福原元勝坂広昌(元貞)山中元孝光永元隆北就勝井上元吉粟屋元秀井上就在長屋吉親井上元盛井上元貞国司有相井上有景井上元続井上俊秀井上良在井上俊久国司就連粟屋元親粟屋元国赤川就秀、飯田広親、赤川元助(元保)佐々部祐賢、南方親州、内藤元康秋山親吉、三田元実、井原元師。
  2. ^ 堀縄手での合戦注文にはその他に長和四郎左衛門尉、粟屋與五郎、八幡原孫八郎(元直)、児玉木工助、佐藤彦三郎(元実)、末国左馬助(光氏)、末国與一、三戸孫五郎の名が記されている[1][2]

出典

  1. ^ 毛利元就卿伝 1984, p. 101.
  2. ^ a b 新裁軍記 1993, pp. 120–121.
  3. ^ 新裁軍記 1993, p. 132.
  4. ^ 新裁軍記 1993, p. 152.

参考文献




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