井上元盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/03 15:13 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 大永5年(1511年)? |
別名 | 通称:新次郎、源三郎 |
官位 | 中務丞 |
主君 | 毛利元就 |
氏族 | 安芸井上氏 |
父母 | 父:井上勝光 |
兄弟 | 光兼、元盛、光清、元有、光俊、光貞、有景 |
子 | 男子、俊秀 養子:就良(井上光兼の子) |
井上 元盛(いのうえ もともり)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。安芸国天神山城主。安芸井上氏は清和源氏の流れを汲む信濃源氏井上氏の支流。
生涯
安芸国の国人領主・井上勝光の子。はじめ、毛利氏に従い幼少期の毛利元就の後見役として仕えたものの、永正4年(1507年)に元就の領地であった猿掛城・多治比300貫を横領したと伝えられる。大永5年(1511年)に急死し、所領は元就に取り戻されたとされる。
なお、毛利氏に従った同姓同名の人物がおり、大永3年(1523年)の元就の家督相続に賛成した15人の宿老[1]だった人物や、天文19年(1550年)に元就に誅伐された井上一族の人物がいる。
脚注
井上元盛(いのうえ もともり)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)
「センゴク」の記事における「井上元盛(いのうえ もともり)」の解説
通称は中務丞。羽柴軍の中国侵攻時には他界しているため回想という形で登場。人懐っこげな外見に反し、元就の幼少期から家中で幅を利かせており衆中合議を扇動する事で自らの意見を押し通し、元就を城から追放するなど専横を極めていた。元就の最大の政敵であったが、重臣からの支持を取り付けた元就が当主の座に付くと逆に多数派工作に屈して専横も叶わなくなり、四十年もの月日をかけて井上一族は粛清された。
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