井上元方とは? わかりやすく解説

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井上元方

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/23 03:52 UTC 版)

 
井上 元方
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不詳
死没 慶長5年(1600年)頃
別名 通称:五郎三郎、彦右衛門尉
主君 毛利輝元
氏族 清和源氏頼季流井上氏支流安芸井上氏
父母 父:井上元満
元通
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井上 元方(いのうえ もとかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将毛利氏家臣。祖父は毛利元就の宿老の一人である井上就在。父は井上元満

生涯

毛利氏家臣である井上元満の子として生まれ、毛利輝元に仕える。

天正7年(1579年8月29日、輝元の加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられた[1]

天正16年(1588年6月15日安芸国万福寺普請について、安芸国禰之村の家人に準備させるよう輝元から申し付けられる[2]

また、同年6月20日に輝元から父・元満の所領を譲状に基づいて相続することを認められ[3]、翌6月21日には安芸国禰之村300貫の代官職についても以前同様に務め、代官職として万福寺の普請を行うように命じられる[4]

さらに同年12月25日には輝元から「彦右衛門尉」の官途名を与えられた[5]

正確な没年月日は不明であるが、慶長5年(1600年4月23日に輝元が福原広俊に宛てた書状において、元方の家督と所領については元方の実子である鶴法(後の井上元通)が相続することを認めるが、鶴法(元通)が幼少の間は代役が公役を勤めるようにと申し聞かせるよう述べているため[6]、慶長5年(1600年)頃に元方が死去したとされる。

なお、子孫には明治元勲である井上馨がいる[7]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第1号、天正7年(1579年)8月29日付け、井上五郎三郎(元方)殿宛て、(毛利)輝元加冠状。
  2. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第7号、天正16年(1588年)比定6月15日付け、井上五郎三郎(元方)殿宛て、(毛利)てる元書状。
  3. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第8号、天正16年(1588年)6月20日付け、井上五郎三郎(元方)殿宛て、(毛利)輝元宛行状。
  4. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第9号、天正16年(1588年)6月21日付け、井上五郎三郎(元方)殿宛て、(毛利)輝元宛行状。
  5. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第2号、天正16年(1588年)12月25日付け、井上五郎三郎(元方)との宛て、毛利輝元官途状。
  6. ^ 『閥閲録』巻95「井上彦右衛門」第10号、慶長5年(1600年)4月23日付け、福原式部少輔(広俊)との宛て、毛利輝元書状。
  7. ^ 世外井上公伝 第1巻 1968, p. 6.

参考文献




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