粟屋元国とは? わかりやすく解説

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粟屋元国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/12 18:40 UTC 版)

 
粟屋元国
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 年不詳6月10日
別名 通称:孫二郎
官位 掃部助
主君 毛利元就
氏族 清和源氏義光流粟屋氏[1]
父母 父:粟屋元好[2]、母:中馬広国の娘[2]
兄弟 元国、元方[3]、元重[3]、女(兼重元宣室)[3]、就幸[3]、元房[3]、女(平佐元助室)[3]
祖式友兼の娘[2]
元堅[4]、男子、渡辺就国[5]、就俊
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粟屋 元国(あわや もとくに)は、戦国時代武将毛利氏の譜代家臣。

生涯

毛利氏の譜代家臣である粟屋氏の惣領家当主・粟屋元好の長男として生まれる[2]

大永元年(1521年8月14日、父の元好が63歳で死去[4]

大永3年(1523年)、毛利幸松丸死後の家督相続をめぐって家中が対立した。この時、元国は病だったことを利用し、一族の粟屋元秀を神仏詣でと称して上洛させ、将軍・足利義晴毛利元就の家督相続を直訴させ、元就の家督相続を認められた[6]

享禄2年(1529年5月2日安芸国松尾における合戦や、同年8月16日の安芸国山県郡壬生における合戦で戦功を挙げ、元就から感状を与えられた[6]

享禄5年(1532年7月13日付の毛利氏家臣団32名が互いの利害調整を元就に要請した連署起請文では、23番目に「粟屋掃部助元國」と署名している[注釈 1]

没年は不明であるが50歳で死去し、長男の元堅が後を継いだ[4]

脚注

注釈

  1. ^ 『毛利家文書』第396号、享禄5年7月13日付 福原広俊以下家臣連署起請文。この時連署状に署名した32名は、署名順に福原広俊志道広良桂元澄福原元勝坂広昌(元貞)、山中元孝、光永元隆北就勝井上元吉粟屋元秀井上就在長屋吉親井上元盛井上元貞国司有相井上有景井上元続井上俊秀井上良在井上俊久国司就連粟屋元親粟屋元国赤川就秀、飯田広親、赤川元助(元保)佐々部祐賢、南方親州、内藤元康秋山親吉、三田元実、井原元師。

出典

  1. ^ 近世防長諸家系図綜覧 1966, pp. 120–121.
  2. ^ a b c d 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 121.
  3. ^ a b c d e f 近世防長諸家系図綜覧 1966, p. 122.
  4. ^ a b c 『閥閲録』巻73「粟屋孫次郎」家譜。
  5. ^ 舘鼻誠 1986, p. 286.
  6. ^ a b 舘鼻誠 1986, p. 248.

参考文献




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