八重町とは? わかりやすく解説

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八重町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/17 05:27 UTC 版)

やえちょう
八重町
廃止日 1954年11月3日
廃止理由 新設合併
八重町壬生町南方村本地村川迫村千代田町
現在の自治体 北広島町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
山県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 4,965
国勢調査、1950年)
隣接自治体 川迫村、壬生町、南方村、本地村、原村
八重町役場
所在地 広島県山県郡八重町
座標 北緯34度40分28秒 東経132度32分18秒 / 北緯34.67456度 東経132.53842度 / 34.67456; 132.53842座標: 北緯34度40分28秒 東経132度32分18秒 / 北緯34.67456度 東経132.53842度 / 34.67456; 132.53842
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八重町(やえちょう)は、広島県山県郡にあった。現在の山県郡北広島町の一部にあたる。

道路交通の利便性が向上し、有田、後有田、今田、有間を中心に八重市街が形成され、警察分署、裁判所出張所なども設置されて、山県郡東部の中心地として発展した[1]

地理

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、山県郡石井谷村、有田村、古保利村、春木村、今田村、後有田村、寺原村、有間村が合併して村制施行し、八重村が発足[1][2]
  • 1909年(明治42年)可部貯蓄銀行八重支店開設[1]
  • 1920年(大正9年)八重農業倉庫設立[1]
  • 1922年(大正11年)1月1日、町制施行して八重町となる[1][2]
  • 1924年(大正13年)芸備銀行代理店開設[1]
  • 1954年(昭和29年)11月3日、山県郡壬生町、南方村、本地村、川迫村と合併し、千代田町を新設して廃止された[1][2]

産業

  • 農業、林業[1]

教育

  • 1922年(大正11年)山形郡実業学校(現広島県立千代田高等学校)開校[1]。1923年、県立八重実業学校に改組[1]
  • 1923年(大正12年)県立八重実科高等女学校開校[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『角川日本地名大辞典 34 広島県』277頁。
  2. ^ a b c 『市町村名変遷辞典』802頁。

参考文献

関連項目




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